Crever imitation

 学校の授業が終わり、私は校門へと急いでいた。彼氏と、校門で待ち合わせをしていたからだ。
 どうにも金曜日は皆騒がしい。休日に向けての計画でも立てているのかしら。
 ざわめく廊下を抜けて、下駄箱で靴を履き替える。
 彼はきっと几帳面だから、私よりも早くついているはず。
 心に浮かぶのは、期待と恐れ。待たせてはいけないと焦りながら歩く。
 辿り着いた校門には予想どおり、すでに彼がいた。
「ごめんなさい、待たせた?」
 門に寄りかかるようにして立っている、長身の男子生徒。
 少し気だるげな雰囲気を常に纏っている彼は、私にふわりと微笑みかけた。
「俺も今来たところだから、平気だよ」
「それならいいけど……帰りましょうか」
「そうだね」
 私たちは、二人並んで駅へと歩き出した。
 我妻漣、それが彼の名前。春日綾、それが私の名前。
 私たちは一応付き合っていて、世間一般でいう恋人という関係。それなりに順調で、週末にはデートもする。
 彼はクラスの中でも結構美形。体つきはしっかりとしていて、性格も優しく気配りが上手で。
 綺麗な澄んだ瞳をしていて……髪は短めで、茶色に染めている。とても、素敵な人だと思う。
 そう、私にはもったいないくらいに。だって、私自身は標準的な容姿だから。
 あくまでも、自分杓子だけれど。
 つらつらと考えながら歩いていると、彼が話しかけてきた。
「もうじき進級だね」
「そうね。いつのまにかそんな季節になっていたなんて」
「俺たちが最上級学年だって。なんだか笑ってしまうよ」
「あまり実感は湧かないわね。どう思う?」
「クラスとかはあまり変わらないから、そう思うのかもね。あ、進路関係は忙しいかもしれないね」
「忙しくても、会ってくれるかしら?」
 ふふっ、と彼は小さな声で笑った。
「もちろんさ。綾に会う為の時間なら、いくらでも」
 それは、私に会いたいといってくれているという事。普通ならば、とても嬉しいこと。喜ぶべきこと。
 けれど私は虚しくなるばかりで。
 不意に、彼の髪が私の長い髪に触れた。さらりと撫でる様に掠めた彼の指は、何だかくすぐったくて。
「どうしたの?」
「ん? 綺麗な髪に、ゴミがついていたからね」
「そう。ありがとう」
「明日はさ、空いているかな?」
「私? もちろん大丈夫よ、いつも暇だから」
 くすくすと笑いながら私がいうと、彼もおかしそうに笑う。私に、彼は合わせてくれているのかしら?
「それはよかった。いい喫茶店を見つけたんだ。どうかな?」
「とても楽しみだわ。駅で待ち合わせでいい?」
「綾が好きなように」
 彼は私の前で恭しくお辞儀をした。ほんのちょっと、似合っていると思った。でも……
 彼のその優しさが、私を串刺しにする。冷たくしてくれたら、割り切れるのに。

 人と会話しながら歩く道は、とても短く感じるもの。
 学校から駅まではあまり離れていない所為かもしれない。
 駅へつくと、帰りの切符を買って、改札口へと向かう。
 仕事や学校帰りの人の群れに流されながらも、後ろを振り返る。
 そこには、もう彼の姿は見えなかった。

 翌日はとてもいい天気だった。空は青く澄み切っていて心地よく。
 爽やかな風が、様々な春の香りを運んできて。柔らかな日差しはとても気持ちがよかった。
 約束道理、私は彼と喫茶店でお茶をした。アンティークが置いてある、落ち着いた店内。
 ふんわりと甘い洋菓子に、品のいい香りがする紅茶。店内には耳に心地よい音楽が流れていて。
 彼はこういうお店を見つけてくるのが何故かうまい。女としては、少し羨ましく思えるくらいに。
 そこで二時間程度談笑してから、いつもの場所へと向かった。
 いつもの場所――街外れにある、小さな川。
 土手にはタンポポやツクシなどの野草が群生している。緑の絨毯に色を添える、綺麗な草花。
 ぼんやりと座る私の肩を抱きながら、隣には彼が座っていて。
 穏やかで、落ち着く光景。まるで、幸せそうな。
 けれど、彼の瞳は何処か遠くを見つめていて。
 私の心も違う人のことを考えていて。
 それでも青空の中、雲がゆっくりと流れていくのは、綺麗で。

 私と彼が初めて出会ったのは、とある合コンだった。
 親友が、一緒に来ないかと持ちかけてきたから。
 その親友は、とてもかわいらしくて、優しくて。
 そんな彼女がコンパなどするのかと、とても驚いた記憶がある。
 最初は乗り気ではなかったけれど、一回ぐらい参加してみるもいいかと思って。
 そして、会場のカラオケに来た男のなかに"彼"がいた。その場に同じ学校の漣がいたことにも驚いた。
 彼は、漣の親友という話だった気がする。スポーツが大好きで、肌は健康的に浅黒かった。
 元気がよくて、話し方がはきはきと自信に満ち溢れていた。そして常に楽しそうだった。
 今、その瞬間を全身で楽しんでいた。
 私は彼に一目ぼれをして、漣は私の親友に恋をした。
 それからの数ヶ月が――とても楽しかったのをよく覚えている。何処へ行くのでも、そのペアで行って。
 馬鹿みたいに、皆で笑っていた。
 太陽みたいに、眩しいくらいに光輝いていた日々。
 愚かな私はいつまでも、ずっと永久に続くような気がしていた。
 永遠なんてもの、ないかもしれないよ?
 それは、彼女が言った言葉。私が、ずっと続いたらいいね、と言った時に。
 彼女は間違っていなかった。今なら、痛いほど判る。
 永遠なんてもの……そんなものは存在しないのだと。
 終わりはいつも突然に。静かにやってきて、確実に奪い去っていく。
 外を吹く風が、少しずつ冷たくなってきた季節。。突然私の家に、漣が訪れてきて。
 珍しいと思いながらも、私は漣を家の中に招き入れた。漣はずっと俯いていて。
 そして、塞ぎこんでいる漣がいった言葉は、まだ覚えている。
 それは私にはとても信じられなくて、嘘だと大声で叫びたくて。
 いくら叫んでも、変えることのできない事実だというのに。
『彼女が交通事故で亡くなった』
 漣の声は、やつれて悲しみに満ち溢れていた。そして連は、一粒だけ涙を零した。
 その時の漣の、今にも消えてしまいそうな透明な表情は、まだ瞼に焼き付いている。
 私が見た、最初で最後の漣の涙。それでも、私は泣けなかった。
 漣と彼女が引き裂かれてしまったように、私と彼の恋もつられるように終わった。
 私と漣は、二人残された。風の噂で、彼は別の人と付き合いだしたというのを聞いた。
 私たちは、四人でひとつだったのだと知った。

 親友を亡くした私は、抜け殻のように漂っていて。何もかもが醜く見えて。
 彼は死んだわけではないけれど、もう私の前にはいなくて。
 二度とあの日々に戻れないと知っているのに。頭や体が納得しても、心が理解していなくて。
 まだ色鮮やかに彼も面影が瞼の裏に焼きついていて。フィルムに映る写真のように浮かぶ上がってくる。
 スポーツに熱中して、輝いている姿。
 不器用だけども、私を気遣ってくれたりもして。
 その時に彼が見せた、はにかんだ笑顔。力強くて、繊細な微笑み。
 とても眩しくて……朧気な在りし日の影。
 忘れるくらいなら、愛したりしない。
 そんな時だった。
『付き合わない?』
 とても甘い誘惑に満ちた漣の言葉。
 もしかしたら、心の片隅で待ち望んでいたのかもしれない。
 断るのは簡単だけど、そうすると私は狂ってしまいそうで。
 彼をなくした私には、代わりとなるものが必要だったから。それは、恐らくは漣も同じだったのだろう。
 そうして私たちは恋人となった。偽りの、まやかしの恋人。
 抜け殻の睦言を囁き合い、傷口を舐めあう関係。  それを友人たちは、"幸せ"だという。
 一体何処を見ているのかしら。その瞳は飾りなのかと問いかけたい。
 皿のようにしてよく見てよ。
 それでもまだそんな戯言が言えるのならば、その瞳は濁っているに違いないでしょう。

 お互いを熱く見つめる視線は、絡み合うことはなく。
 深い傷口は交差して、交わりながら、血を流し続ける。
 暗い夜に、温もりを求めて唇を重ねてみても。
 癒しを求めて、幾度となく体を重ね合わせてみても。
 熱い身体から伝わるのは、凍えるような痛みだけ。
 流れ込んでくるのは、深い絶望と虚無感だけ。

 渇望して与えられるのは、偽りの麻薬。絶望して、奪われるのは恋心。
 紛い物の温もりに身を浸しながら、私たちは寄り添っている。
 一人じゃ生きられないくらいに、弱くなってしまったから。
 愛していない訳じゃない、嫌いな訳じゃない。
 けれど、心の底から想う気持ちとは別物で。彼を愛していたのとは違う感情。
 カタチの判らない、未知の想い。本当に……好きなのかさえわからなくなりそうで。
 そんな感情を持ちながら、愛し合うことができると思えるのかしら?
 いつまでも、触れ合うことが出来ずに、すれ違い続ける。それが、私たちの関係。
 恋人という硝子の上に立っている、崩れかけの感情。
 何がきっかけで、いつ壊れてしまうかも解らない――脆く儚いお芝居。

 私は追憶から無理やり抜け出すと、隣に座る彼をみた。
 少し寂しげな顔をして、静かに流れる川を見つめている。
 彼が何を考えているのか、私には分からない。
 私が何を考えているのか、彼は理解しない。
 繋がらない、一方通行だけの想い。
 やがて夕日が顔を覗かせはじめた頃。
「そろそろ……帰ろうか?」
 汚れを払いながら、立ち上がる彼。優しく微笑みながら、私に手を差し伸べてくれる。
「そうね。だいぶ時間が経ってるもの」
「また明日も会えるかな? 土日連続だから、もしも……」
「私は、いつでも空いているわ」
 嘘の微笑みを貼り付けながら答える。
「彼が……いないからかな?」
 顔は笑ったまま、瞳は笑わずに尋ねられてしまった。
「そうよ。漣も……彼女がいないから、暇でしょう?」
「ああ――そうだったね」
 忘れていたみたいに、言わないで。忘れるなんて、許さないわ。
 真っ直ぐに彼の瞳を見つめる。けっして逸らさないように。
 傷を舐めあいながらも、時にはお互いに傷を抉りあう。
 癒えてしまわないように、絆が絶えてしまわないように。
 私たちは、友人の死という絆で繋がっているから。
「じゃあ、また明日もあの喫茶店で」
「わかったわ」
 私たちは寄り添いながら、駅へと向かう。また明日、会うために。

 腕は組むけれども、手は繋がない。指も絡ませない。
 お互いがちゃんと向き合っていないことを承知の上での関係。
 不安定な形を保とうとしながら、時には少し壊してみたりする。
 終わりたいのか、終わらせたくないのか。私は時折、罰のようだと思う。
 私が涙を流せなかったから。彼は守ることができなかったから。
 彼が、私が優しく微笑むのは……利口な真似。
 そうしていれば、続けることが出来るとわかっているから。
 こんな星屑よりも、儚い関係だけれども。終焉がいつ訪れるのかわからないけれど。
 私は――微笑むわ。
 決して、悲しんだり、嘆いたりしない。もう、二度と。
 涙も見せないし、媚びたりもしない。それが、私自信への戒め。
 二人が離れて消え去っても……私は微笑み続けてみせるわ。
 だから、漣も笑っていてね。終わりが来る、その日まで。

 私たちは、今日も偽りの愛を紡ぎ続ける。
 時に激しく、時に冷たく。
 でも、こんなに不安定な関係なのに……何故か解らないけれど。
 このままで在り続けたいと思うのは――変かしら?