「私だけ見ていて欲しいのです」
あなたは歌うようにいって、この二つの眼を抉りました。
どうしてなのかと、尋ねたこともありました。
あなたはただ、優しい声でいうばかりでした。
「私だけを見ていればいい。他の汚れたものなんて、見なくていい」
何度も、耳の側で繰り返されました。
今でも焼きついて離れません。
髪を優しく撫でてくれたこともありました。
大きくて、暖かい手が撫でていたのでしょう。
もうそれを見ることはできません。
あなたには、この身以外のものが、全て汚れて見えたのでしょうか。
それとも、綺麗なものが汚れて。
汚れたものが綺麗に見えていたのでしょうか。
光を奪われた空洞には、その瞬間のあなたの姿だけが残りました。
とても美しく、微笑む姿だけが。
今のあなたはどんな表情をしているのでしょう。
何も見えない暗闇の中では、想像するばかりで。
想像は、やがて創造につながりそうになります。
色々な姿をした、あなたを作るのです。
でもそのどれをもが、本当のあなたにはかないませんでした。
そうして想像をくりかえしていくうちに。
本当のあなたのことを忘れてしまいました。
姿形ははっきりと覚えています。焼きついているのですから。
ただ、言葉で説明ができないのです。
きっと、この目を潰してしまうくらいですから……
独占欲の強い、わがままな人だったのでしょう。
あなたの癖は今でもよく覚えています。
いらつくと、指の関節を勢いよく鳴らすのです。
いつも力を入れすぎて指を折ってしまわないか。
とても心配だったのを覚えています。
あなたは知らなかったのですね。
汚れたものを知っているからこそ、美しいと思えるのです。
比較するべきものを知らなければ、何も感じません。
綺麗なものを見続けていれば、いずれ飽きてしまいます。
この世に生きている、有象無象の人達。
その人達がいるからこそ、あなたは輝いて見えたのです。
だから、記憶の中のあなたしか見えない今は。
ぼんやりと色褪せてしまっているのです。
二人しかいない世界ならば。
あなたは大切だけれど、価値は限りなく薄くなってしまう。
一人も二人も、同じようなもの。
現物ではなく、記憶の中のあなたの姿。
今では、それが本当に正しいのかすら、わかりません。
確かめるすべもないのですから。
名前を呼べば、返事をしてくれるのでしょう。
でも知りたいのは声ではなくて、姿。
人の記憶などあやふやなものです。
あなただと信じ込んでいる姿は、まったくの別人なのかもしれません。
そうだとしたら、とてつもなく恐ろしいです。
できることならば、昔に戻りたいのです。
この目が正常で、あなたを見ることができていた日々に。
汚れたものなんて、いくら見えても構わない。
あなたの姿が、ただ恋しいのです。
でも、あなたはもう見えなくなってしまった。
こんな風に思ってはいけないのでしょうか。
この目だけが光を失ってしまいました。
あなたを見ることはできません。
あなたが何を見ているのかを、知るすべはありません。
もしかしたら、他の人を見ている可能性もあるのです。
ねえ、不公平だとは思いませんか?
あなただけが、見えているなんて。
この目を見えなくする前に、あなたの眼を潰せばよかった。
本当は、そうするのがよかったのです。
二人一緒なら、何の疑問も生まれませんでした。
一度生まれてしまった疑いは、なかなか消えないのです。
そうでなければ、同時に目を潰すのもいいでしょう。
あなたが今何を見ているのか。
それを私は知りたいのです。
だから、あなたに尋ねたのに。
「私が見ているのは、君だけだよ」
あなたの答えは、望んでいたものとは違いました。
それが、当たり前なのでしょう、きっと。
けれど恨めしくなるばかりで。
こんな風に思うのは、わがままなのでしょうか。
だとしても、仕方がないと思うのです。
あなたのことを愛しいと思う故の、考えなのですから。
あなたはどう思うでしょうか。
浅ましいと思いますか。
目障りだと思いますか。
拒絶しますか。
受け入れてくれますか。
どうしても、それが知りたかったのです。
だから、あなたの眼を潰そうとしました。
近くにあった、鋭く尖っているもので。
あなたの気配ならば、よくわかりました。
呼ぶと、近くに来てくれましたから。
手探りで、あなたの体に触れて。
鎖骨をなぞり、首筋を辿り。顔に辿り着いて。
あなたの、二つの眼に狙いを定めて。
力いっぱい、突き刺したのです。
指先に触れるのは、生暖かい感触だけで。
あなたは悲鳴ひとつあげませんでした。
もしかすると、こうなることを知っていたのでしょうか。
その瞬間は、安心しました。
これであなたも同じになったのだと。
でも、いくら呼びかけても何の返事もありません。
次第に、不安に支配されていきました。
手探りで辿って、突き刺しました。
それとおぼしき場所に刺しただけなのです。
もしかしたら、違う場所を刺したのかもしれません。
だんだんと、指先から伝わるぬくもりも、冷えてきました。
それでも、増えていく不安を包みこんでいるのは、安心感でした。
だってそうでしょう?
もしも、あなたが死んでしまったのだとしても。
死の直前に見たのは、この姿。
あなたを殺したのも、この手。
他の人に奪われたりするくらいならば――
いっそこの手で殺した方がよかったのかもしれません。
悲しいけれど、満足しています。
殺人者の烙印など、なんの障害にもなりません。
結局は、醜い独占欲に突き動かされたのでしょう。
けれど、最後まで残念で仕方ないのは。
あなたの姿が見れないことです。
呆然としていますか。
笑っていますか。
泣いていますか。
誰を見ていますか。
見せたくなくて、光を奪ったあなた。
信じられなくて、あなたを殺してしまったこの身。
本当に愚かなのは……
いったいどちらでしょう?
ああ、独占欲とは恐ろしいものです。
back