あるアパートの一室で、男が夕食の片づけをしていた。
今食べ終えたばかりの皿には、まだ赤い肉片がこびり付いていた。
男は、手際よく洗い物を済ませると、冷蔵庫へ近寄り、扉を開けた。
冷蔵庫の中には、たくさんの色鮮やかな肉が並んでいた。
カーテンの隙間から差し込む、眩しい太陽の光。
閉じた瞼の裏に光が差して、眩しさで俺は目覚めた。
もぞもぞとベッドから起きながら、仕事の事を考えていた。
俺は、アパートの近くの肉屋で働いている、ごく普通の社会人。
しかしそれは、あくまで表面上のことであり、俺のすべてではない。
俺には、決定的に、一般人とは違う嗜好があった。
それは、人肉を食べる事。
特に食べ始めたのには、理由などなかった。
ただ、仕事で豚や牛を解体していて、人間はどんな味がするのかと思っただけ。
ヒトも豚や牛と同じ、哺乳類で獣。ならば、味にそう大差はないはずだと。
だから、実際に食べてみたのだ。俺の予想はみごとに当たっていた。
赤みの部分は、さっぱりとしていて、淡白。
脚や腕の筋肉は、よく使われているからか、コリコリとしていて、珍味。
脂身は、その獣の脂よりも、濃厚で美味だ。
さすがの俺も、内臓は食べなかったが、血液は美味しく頂いた。
今では、お風呂のお湯代わりにもしている。
最初は、材料のヒトを調達するのが大変だった。
少し離れた町から、身寄りのなさそうなヒトを選んで。
言葉巧みに、騙し、誘って。
連れ込むために、別のアパートの部屋を借りて。
死体は、トランクに詰め込んで。
何かと人目を気にしなければいけないので、とても大変だった。
だが、そんな状況は意外にも、一転したんだ。
俺が働いている肉屋の店長。彼は、殺人によって快楽を得る性癖だと知った。
ある日、包丁でも借りようかと、肉屋へ真夜中にいった時。
物音がした部屋を覗いてみると、店長と女の死体があった。
そこは小さな肉屋で、従業員は俺一人だけ。店長がレジも兼ねている。
彼に俺は、思い切って自分の嗜好を話してみたのだ。
店長の性癖を知ったかわりに。
俺と店長は、こうして秘密を共有したのだ。
彼の恍惚とした表情を眺めながら、俺は尋ねた。
その女の死体は、いったいどうするのかと。
彼はうっとりとしながら答えた。
捨ててしまうのだと。方法は教えてはもらえなかったが。
そういうことならば、と俺は死体を分けてもらった。
今度は俺が彼に、どうするのかと聞かれたので、食べるのだと答えた。
すると、彼は自分の食べたいと言い出した。
それならば、ということで、二人で解体作業を始めることになった。
巨大な桶に女の死体を入れたら、まずは体をバラバラにしていく。
頭部、胴体、腕、脚。そんな風に大雑把に分けたら、さらに細かく分けていく。
この時点で、桶の中には、半分くらい生暖かい血が溜まってくる。
胴体以外を別の台に置いたら、胴体の解体にとりかかる。
手術の時のように、真っ直ぐに薄く切れ込みを入れたら、そこから皮をゆっくりと剥いでいく。
この時、肉に皮を少しだけ残しておくのが、ポイントだ。調理したとき、こんがりと美味しい。
すると、ピンク色の肉の塊が出てくるので、今度は深く切れ目をいれる。
押し開く前に、胸の脂肪を先に取り除いておく。
女性の胸の脂肪は、ほんのりとした柔らかい甘味を持っているからだ。
腹部の辺りを押し開くと、出尽くしたかに見えた暖かい血液が再び溢れてくる。
邪魔な内臓をどかしつつ、肉の採取に取り掛かる。
まずは、一番多い赤身の切り取る。その次は筋肉付近の肉を取り除く。
その後は脂肪だが、ぷよぷよとして弾力が強いので、手で掴んでしまう。
しかし、手の熱で長時間持っていると溶けてしまうので、素早く行う。
予め一旦手を洗い、氷水などで冷やしておくといいかもしれない。
後は、取り除き忘れた肉を採取し、臀部の肉を切り取る。
皮を開いて、中の肉だけを切り取るのだ。臀部の肉は、しっかりとしている。
皮は消毒すれば問題ないが……個人的に俺は嫌なのだ。
作業する男二人の頭の中には、新鮮な肉が食べられる。その欲求だけが渦巻いている。
理性などというものは、遥か彼方に吹き飛んでいる状態。
死体を片付け、作業場の掃除をしたら、キッチンへと向かい、調理するだけ。
後は普通の料理と同じように考えればいい。
鶏肉や、豚肉のように使われる人肉。ラード代わりの脂肪。
出来たら、食べるだけだ。
その時は、俺はまず店長に料理を食べさせた記憶がある。
最初は恐る恐る口にしていたが、一口食べたら、猛烈な勢いで食べだした。
口の周りには、多量の脂が付いて、部屋の電気に反射し、うっすら光っていた。
傍から見れば、本当に気味が悪い光景だろう。
食卓の上で、一心不乱に人肉料理を貪る男と、うっとりとしながら静かに口に運ぶ男。
作業場とキッチンは別とはいえ、漂う血の香りは、そうすぐには消えない。
普通のヒトが見たら、それだけで発狂してしまうかもしれない。
食事が終わると、血液と切り分けた肉はアパートへと持ち帰る。
大きな袋に詰めて持ち帰る途中、よくヒトとすれ違う。
しかし、皆、店の肉でも運んでいると思っているらしく、怪しまれたことはない。
昼は豚や、牛など獣を切り裂いて、夜はヒトを切り裂く。
いわば、表と裏のようなもの。
人間、好きなことを考えていると、時間を忘れてしまうようだ。
気が付くと、もうじき店の開店時間だった。
慌てて身支度を整えて、アパートを後にする。
俺は夜を楽しみにしながら、仕事へと出かけていった。
帰宅すると、服を着替えてから、真っ先に冷蔵庫へと向かった。
ペットボトルに入れて冷やしておいた、赤い液体を飲み干す。
サラリとしていて、やはり美味しかった。
同じものが入っているペットボトルを持って、風呂場へと向かう。
湯船に中身を注ぎ込んだ後、お湯を入れ始める。
食事が終わることには、入ることが出来るだろう。
再び冷蔵庫を開き、晩御飯のことを考える。
こんがり焼くと、カリカリとして美味しいが、すこしほろ苦い。
しゃぶしゃぶのようにしてみると、色が綺麗かもしれない。
生は衛生的によろしくないから……半生にしてみようか。
デザートには、脂肪シャーベットなんてどうだろうか。
凍らせた脂肪を少し解凍して、砂糖を混ぜるだけ。
ああ――料理を考えるのがこんなに楽しいなんて。
きっと俺は、幸せだと思った。
手早く食事を済ませると、俺は湯船へとつかった。
ちょうどいい具合に温まっていて、心地よい。
極上の香水の香りつき、だ。
血の湯に身を浸し、深く息を吸い込んだ。鉄錆びのようでいて、少し甘い香り。
最高の環境に包まれながら、俺は考える。
今は、最高に幸せだと。
ほぼ毎日繰り返される、人肉食。
この胸を満たすのは、甘美な血の香り。
もしかすると、俺にとっては、地の池地獄も極楽かもしれない。
いつも湯につかるとそう考える。
この日々はこの先ずっと続いていくだろう。
俺に、また彼に死が訪れるまで。
しかし、俺は死神のくちづけさえ、喜んで受けるだろう。
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