ラストウェディング


 煌びやかな照明が照らす会場。
 配置されたテーブルの傍では、正装をした男女が、挨拶を交わしている。
 この日私は、友人の結婚式に招待されていた。
 式の主役は、玲子と雅哉。
 二人とも、学生時代からの古い友人だ。
 結婚式には、身内や、学生時代のクラスメイトなどが招待されたようだ。
 その割には、意外と人数が多い。
 正装をしていても、会場内の空気は穏やかで。
 一見すると、同窓会のような雰囲気さえ感じられた。
 懐かしい顔も多く、シャンパン片手に話しかけられた。
「お、久しぶりだな。お前も飲んだらどうだ?」
「いや、遠慮しておくよ」
 そうかと呟くと、喋りながらまた歩いていってしまった。
 私は断じて、下戸ではない。
 むしろ、本来ならば、こういう場ではよく飲むほうだ。
 しかし、今日ばかりは、そうもいけない理由があった。
 大それたことではないのだが。
 最近は仕事が多忙を極めていて。
 郵便物のチェックを怠り気味だった。
 そのせいで、招待状に気づくのが遅れてしまった。
 とりあえず返事を返したのはいいが、今度は日にちを忘れてしまって。
 昨日は、普通に仕事仲間と飲みに行っていた。
 帰宅して、カレンダーを確認して、かなり泡を食ったのを覚えている。
 しかし、それから先の記憶が飛んでしまった。
 気が付いたら、結婚式会場にいたという感じだ。
 さらには、かなり頭がぼーっとしている。
 恐らくどちらも、二日酔いの効果だろう。
 さらにいうならば、お腹も少し痛い。
 談笑の渦に飲まれながら、新郎と新婦のことを考える。

 学生時代から二人は、既に仲が良かった。
 性格が正反対なのに、人間うまく付き合えるものだ。
 玲子は内気でおとなしく、お嬢様気質だった。
 可憐で、おしとやかで、クラスでも人気があった。
 例えるならば、深窓の令嬢のような。
 例えだけではなく、現実に彼女の家は、大企業だったが。
 雅哉は明るく、はきはきとしていて、活発だった。
 運動が好きで、肌はこんがりと小麦色に焼けていた。
 爽やかな、好青年のようだった。
 雅哉は悪戯好きで、私と一緒に何かやらかしては、先生に怒られていた。
 持ち前の爽やかさで、お説教もあまり意味はなかったけれど。
 その時、私と玲子は交際をしていた。
 結婚を前提に、とかではなく、恋人だった。
 別段、不仲でもなかったのだが……
 付き合って数ヶ月で、自然消滅してしまった。
 私には、別れた原因がよくわからなかった。
 強いていえば、私と彼女は、限りなく近いタイプだった。
 近いけれども、違うタイプだったとしか、いいようがない。
 その後、私は雅哉に、彼女を紹介した。
 彼女に未練がなかった訳ではない。
 でも、幸せになってほしいと思っていたから。
 紹介してからは、実に早かった。
 私のように自然消滅などもせず、順調に。
 恋人として、とても長く関係は続いていた。
 幸せそうな彼女を見ながら、私は羨ましく思ったものだ。
 彼女は美しく、優しい人だったから。
 自分から紹介しておきながら、妬むなど恥ずかしいことだが。
 所詮私も学生。色々な部分が、まだ幼かったのだろう。
 今ならば、そう割り切ることができる。
 笑って、二人の門出を祝福することができるようになった。
 
 急に会場が、ざわめき始めた。
 蝶ネクタイを身につけた司会者がいった。
「新郎新婦の入場です。皆さん拍手でお迎えください」
 会場静かな拍手に包まれた。
 そして、主役が入場してきた。
 雅哉が玲子の手を取り、エスコートしながら歩いてくる。
 ゆっくりとした歩きは、幸せを噛み締めるようで。 
 拍手はするものの、誰も言葉は発しない。
 そのまま二人は座席へと辿り着くと、着席した。
 二人が席に着いた瞬間、大きな拍手の音が会場を打った。
 雅哉は黒のタキシードを着ていて、爽やかだった。
 昔と、ちっとも変わってはいなかった。
 そして、玲子のドレスは。
 玲子は、真っ赤な紅いウェディングドレスを身に纏っていた。
 病的な程に白い肌と紅いドレスは対照的で。
 とても官能的で、美しかった。
 会場から囁きのように、賛辞の言葉が聞こえる。
「本日は私達の結婚式にお越しいただき、ありがとうございます」
 マイクを持ち、挨拶をする雅哉。
 張りのある声も、昔に聞いたものと変わらずに。
 時の流れを、感じさせないかのような。
 変わったといえば、玲子が昔よりも美しく育ったことだろうか。
 雅哉の横で、穏やかに微笑んでいる玲子は綺麗で。
 お似合いの二人だと私は思った。
 一通りの挨拶をした後、マイクは進行役に渡された。
 色々と話しているようだが、あまり聞いている人はいなかった。
 皆それぞれ、昔の思い出話に花を咲かせていた。
 これでは、まるで本当に同窓会のようだ。
 私はただ、玲子を眺めていた。
 美しすぎる容貌と、似合いすぎるドレス。
 ずっと眺めていた私は、妙な違和感を覚えた。
 それは、彼女のドレスの色だ。
 別に、紅いドレスが珍しいという訳ではない。
 黒いドレスを着る新婦だって、最近はいるのだから。
 私が気になったのは、紅いドレスではなくて。
 彼女のウェディングドレスは、白ではなかったか?
 紅いドレスを見るうちに、私の頭の中には、そんな考えが浮かんでいた。
 しかし、これはどう考えてもおかしい。
 私は、式の前に、彼女達にはあっていない。
 だから、ドレスの色など事前に知りえないのだ。
 私の記憶が、正しければの話だが。
 では、何故あんなことを考えたのだろうか。
 ウェディングドレスは、白だ。
 そんな固定観念が、私の中にあったのだろか。
 そうだとしたら、私も古い男なのだろう。
 
 私が疑問を解決しようとしている内に、式は終ってしまっていた。
 皆は挨拶も終えたようで、出口へと一つの流れが出来ていた。
 私は流れに逆らいながら、雅哉と玲子の元へと向かった。
「おめでとう、二人とも」
 その声で、話をしていた二人が、私を見た。
「久しぶりだなあ。お前は相変わらず不健康そうだな。大丈夫か?」
「せっかく来てくれたのに、そんな事を言っては失礼でしょう」
 雅哉の一言に、玲子も笑いながら話す。
「いやいや。本当のことだからいいんだよ」
 私も笑いながら、そう返す。
 学生時代も、よく三人でからかい合っていた。
 とても懐かしい気分になった。
 そのまま三人で、しばらく他愛のない話をした。
 昔に戻ったようで、とても楽しかった。
 話題も尽きようとしていたとき。雅哉が時計を見ていった。
「そろそろ、時間みたいだ」
「あら本当、時間だわ」
 二人が声をそろえて、時間だという。
 時間? 何かこの後に用でもあるのか――
 うかつだった。
 結婚式を終えた新郎新婦には、やるべきことがたくさんあるはずだ。
 私が呼び止めてしまったせいで、押しているのだろう。
「すまないな。二人にもまだ用があるだろうに……」
 私がそう話すと、二人は何故か笑っていた。
「違う、そうじゃない。タイムリミット、時間切れってことさ。
 いいから、お前も来いよ? こっちだ」
 会場を出て行く雅哉に、私と玲子はついていく。
 薄暗い照明の廊下を、静かに三人であるく。
 何処に行くのかと不思議がっていたら、一つの扉の前で足が止まった。
 扉の脇のプレートには、二人の名前が書いてある。どうやら、控え室のようだった。
 
 中へ入ると、二人は白い椅子に座った。
 私も促されて、ゆっくりと椅子に座った。
 白いテーブルの上には、果物籠が置かれていた。
 部屋の中に、奇妙な静寂が訪れた。
 沈黙を破った音は、雅哉の声だった。
「いやあ。それにしても、意外だったよ。まさかお前があんなことするなんてな。
 驚いて、咄嗟に動けなかっな」
「そうね、私も本当に驚いたわ。綺麗に終ったと思っていたのに」
「えっと二人とも、何の話をしているんだ? わかるように教えてくれると助かるんだが……」
 今二人が喋ったことからわかるのは、私が何か、とても驚かれるようなことをした、それだけだ。
 ただでさえ、酒で思考回路は鈍っている。何がなんだかわからないままだ。
 私が説明を待っていると、二人はきょとんとした表情になった。
「あれ、お前忘れてるのか? 結婚式は、覚えていたのにな。しっかりしてくれよ?」
「あなた、大丈夫……と聞くのも変ね。お酒の飲みすぎて、忘れたのかしら」
 どうして彼女は、私が酔っていることを知っているのだろうか?
 いや、自分がどんな顔をしているかなんて、わからないものだ。
 もしかしたらすごく酒臭いのかもしれないし、顔が赤いのかもしれない。
 それにしても、私は何を忘れているのだろうか。
 忘れかけていたのは、結婚式の日にちだけのはずだが。
 まぁ、他にも色々と記憶は飛んでいるせいで、説得力はないが。
 私が理解不能な顔をしていたのだろう。
 少し哀れむような声で雅哉がいった。
「本当に忘れてるんだな。仕方ないな、こっちに来いよ。……そんなに嫌だったのか?」
 最後の方は、ほとんど独り言に近い言い方だった。
 私が雅哉に連れて行かれたのは、部屋の中にある、カーテンの前。
 恐らくは、衣装を着替えたりする時に、使用するのだろう。
 雅哉は勢いよくカーテンを開けた。
 そこにあったものは、私の眼には滑稽に見えた。
 玲子の上に私が、私の上に雅哉が。折り重なるようにして、倒れていた。
 私の胸には、朱色が広がっていた。それは雅哉の胸にもあった。
 そして、玲子の真っ白なウェディングドレスにも色を添えていた。
「何だ……、これは、何かの芝居か?」
 余計にわけがわからなくなって、私は雅哉に尋ねた。
 雅哉は笑ったままいう。
「おいおい、お前さ、死んで頭悪くなったんじゃないのか?」
「失礼な。――今、なんていった?」
 私が雅哉のいった言葉を理解する前に。
 滑るような動きで、玲子が隣に来ていった。
「だから、あなたはもう死んでるのよ」
「なに、馬鹿なことをいっているんだ?」
 時が止まったかのような室内に、二人の低い声が木霊した。
 その声はまるで、呪詛のよう。

「あなたが私を殺して」
「お前が俺を殺して」
「俺が、お前を殺したんだ」

 私は、全てを思い出した。
 結婚式が始まる前に、私は挨拶に来ていたのだ。
 知らない二人になってしまう前に、会いたかったのかもしれない。
 だが、二日酔いの朦朧とした頭には、秘めてきた思いが溢れて。
 そう、私はあの時……酷く羨ましくなったのだ。
 私と玲子の関係は自然消滅したが、私の思いは消えなかった。
 雅哉に微笑む彼女を見ては、募っていくばかりで。
 羨望は、やがて嫉妬に変わっていた。
 衝動にも似た思いに支配され、私は玲子達を刺し殺した。
 その時に、私も死んだのだ。
「やっと、思い出したよ……今更だが、すまなかった」
 まったく、と肩を竦めながら雅哉がいう。
「ま、もう死んでしまったから、なんともいえないんだけどな。
 それでも、忘れるな。お前が、俺達の未来を奪ったんだ」
 二人の未来を奪ったのは、私。代償は私自身の未来。
 死んだとはいえ、人を殺したという事実は変わらないのだろう。
 もしもあの時。
 私が玲子と付き合い続けていたら、結末は変わっていたのだろうか。
「取り憑こうにも、お前も死んでるからできないんだよな――」
「ああ、本当にすまないと思っている。何をいってももう遅いが。
 そういえば、私を殺したの誰なんだ?」
 玲子か? と尋ねるも、首を横に振られてしまった。
「私じゃないわ。あなたに一番最初に殺されたのよ。できるはずがない。
 彼が殺したのよ。……忘れてしまうものなのね」
「そう、お前を殺したのは俺だよ。といっても、俺も死に掛けてたけどな。
 俺達を刺して、ぼうっとしていたからな。死に物狂いだったよ」
 きっと、雅哉も衝動に駆られたのだろう。
 玲子を刺した、私への憎しみという感情に。
 私が死んだということは理解できた。
 だが、まだ気になることが私にはあった。
「でも、なんで結婚式をしたんだ?」
「何で? おかしなことをいうなよ。元々、結婚式をやる予定だったんだ」
「結婚式は一大イベントだもの。たとえ死んだってやりたいもの」
 死してなおその思いが、行われなかったはずの結婚式を支えたのだろうか。
「あの後、意識失ったんだけどな、すぐ眼が覚めたんだ。
 相変わらず死体はあったけど、それでも俺達は此処にいたんだ」
 ところが、お前はいなかったと、呟くように雅哉はいう。
「まさか、普通に式に参加してるなんて、思わなかった」
 心底驚いたような声の玲子。
 確かに、本来ならば消えているはずだろう。
 それほどまでに、式を見たかったのか。それとも。
 二人の執念に操られていたのか。
 ウェディングドレスのことも、すべてわかった。
 私は白いドレスを見ていたから、違和感を感じたのだ。
 式で見た紅いドレスは、鮮血に染められた、血濡れのドレスだったわけだ。
 だから、あんなにも魅了されたのだ。
 私が頭の中で記憶を整理していると、雅哉が手招いた。
「さあ、時間だ。そろそろ行こうぜ」
「行くって、どこにだ?」
「あそこよ」
 私の隣にいた玲子が、すうと指で死体の奥の壁を指した。
 真っ黒な、穴が広がっていた。
 何処までも吸い込まれそうに、深く暗い穴。
 穴を見つめたまま、口にした。
「どこに繋がっているんだ? 果てがなさそうに見えるが」
「さあ、わからないわ。天国とか地獄とか、そういうものじゃないかしら。
 行ってみれば、わかることだわ」
 あーあ、と嘆くような声が聞こえた。雅哉の方を見ると、俯いていた。
「どっちにしても、俺は最後にお前を殺したからな。良い所には行かないだろう。
 お前もちゃんと来いよ?」
 そういい残すと、雅哉は穴へと消えていった。
 文字通り、穴の中に溶けるようにして。
「結局最後まで、私達は一緒だったわね」
 薄く微笑みながら、玲子も消えていった。
 部屋に残っているのは、あとは私だけだった。
 二人が行ったのならば、私も行かなければ。
 奇妙な縁だったが、いい人生だった。
 行くことを決めると、意識が霧散し始めた。
 先ほどまではしっかりしていたのに、今では朧気だった。
 体を見ると、うっすらと透き通っていた。
 揺れる意識の中、私は最後まで血染めのウェディングドレスを思い浮かべていた。
 そして、部屋には三人の死体だけが残った。



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