差し伸べられた手を取ったのは、凍える雪の日だった――
それは鈍色の空から、冷たい欠片が降り注ぐ日。
普段は行きかう人で溢れているオフィス街だが、天候のせいか人影はまばらだった。
夕暮れ時という時間帯も関係していたのかもしれない。
仕事を終えた人々は、厭わしそうに空を見上げては、家路へと向かう。
その様子を、路地裏から眺めている一人の少女がいた。
身体には色褪せたぼろぼろの古着を身に纏い、膝を抱えて座っていた。地面に触れる白い足は素足。
くすんだブロンドの髪には、雪が薄く降り積もっていた。
表通りを眺めている翡翠色の瞳は、冷め切っていた。
鈍色の空を見上げながら、少女は考えていた。
今日は……この後どうしよう。このまま此処にいると、凍えてしまう。
けれど他に夜を過ごせそうな場所もないわ。
空き家に潜り込もうにも、最近は鍵が掛かっていたりすることが増えて、難しい。
店の軒下で過ごそうと試みたこともあったけれど、店員に水をかけられた。
びしょ濡れになって、寒くて風邪をひきそうになってしまった。
ぐるぐるとしばらく少女は考えてから、ためいきをついた。
外の寒さと比例しているかのように、思考がうまくまとまらなかった。
身体を丸めることでかろうじて暖を取っているから、動くと冷え切ってしまうし……
それに、行くあてもないし、今夜はこのままでいよう。
そう決めた少女は、もぞもぞと動いて、ぼろ布を身体に強く巻きつけた。
朝起きると、誰の仕業かはわからないが、盗まれていることがあったから。
そのまま少女は、うとうとと瞼を閉じ始めた。
徐々に下がっていく気温に身震いしながら、夢の中へと行こうとする。
楽しくも、悲しくも、寒くも暖かくもない夢の中へ。
身よりもなく、帰るべき場所もない少女にとっては、つかの間の安息の時間。
静かに雪が降り積もり、少女の瞼が完全に閉じてから、数秒後。
眠ったはずの少女が、ぱちりと瞼を開いた。
少し寝ぼけた目をしながら、きょろきょろと辺りを見回す。
……誰か来るなんて、珍しいわ。ここにはあまり人は近寄ってこないのに。
場所を変えた方がいいかな……?
少女が迷っている間にも、靴音はどんどんと近づいてきていた。
すぐ近くて靴音は止まり、少女は音のした方へと首を巡らせた。
少女の近くに立っていたのは、一人の青年だった。
黒い外套を身に着けて、少女の方をじっと見ていた。
薄茶色の髪には少女と同じように、雪が薄く積もっていた。少女を見る目の色も薄かった。
青年を見て少女は、変な人だと思った。
どうしてわたしの方を見ているのだろう。浮浪者にしては身なりがしっかりしているし。
普通の人は、あまり路地裏には来ないのに。
見られて居心地の悪い少女は、青年に問う。
「……何か、用?」
青年の唇が僅かに動いたがそれだけで、答えは返ってこない。
「用がないのなら、何処かへいってちょうだい」
拒絶の意味を込めて睨みつけてみても、青年はそこに佇むだけだった。
意味がないとわかって、少女は青年から目をそらした。
まったく変な人。天気も悪いのだから、早く帰ればいいのに。落ち着かないわ。
少女の視界には、青年の影が見えた。俯きながら、その影に向かって心の中でぼやく。
今日は厄日だわ。おちおち眠ることもできないなんて、ついてない。
眠るべきか、場所を移動するか。少女が考えようとした時、影が動いた。
いなくなったのかと思い顔を上げて、少女は驚いて大きな目を見開いた。
さきほどまで佇んでいた青年が、少女に向かって手を差し伸べていたからだ。
「なに……馬鹿にしてるの? からかってるの? 何とか言ったらどうなのよ」
相変わらずの無言だったが、青年の唇が動いたのを少女は見逃さなかった。
ゆっくりとした唇の言葉を読み取った少女は、馬鹿みたい、と小さく呟いた。
本当にあの男は変な人だわ。
だって、一緒に来る? なんてわたしに言うんだもの、おかしいに決まってるわ。
こんな路地裏で生活してるような子供を拾って、何が楽しいのかしら。
今の時代、売り飛ばされはしないだろうけど、殺される可能性は十分にあるわ。
そんな誘いに乗ってしまうほど、落ちぶれてはいないわ。
ひとしきり考えてから少女は、眠ってしまおうとした。
目の前で変わらずに手を差し伸べている青年のことなど、見ない振りをして。
それでも気になるのか、少女はちらちらと青年を盗み見る。
いつまでいるのかしら……うっとおしいわ。雪だって降っているのに。
そうよ、外套にだってどんどん雪が降り積もっているじゃない。
少女の身体と同じように青年にも雪が降り積もっていた。
寒くないのかしら……と思いながら、少女は身震いをした。
随分と、寒くなってきたわ。気が付いたらもうすぐ夜ね。お腹も空いてきたな。
昼間に残飯を漁ったきり、少女は何も口にしていなかった。
ちゃんと夜眠れるかしら。凍死してたりしないかしら。
寒さに凍えながら、ぐるぐると少女は考える。その合間に、ちらと青年を見る。
薄く微笑んだまま、青年は少女を見ながら首を傾げている。
伸ばされた手は、少女の方を向いている。
この人についていけば、どうにかなるかしら?
そんな考えが、少女の中で首をもたげた。
ちゃんと家はあるでしょうし、きっと外よりは寒くはないわ。
連れて行くかと聞いたのだから、その辺に捨てられたりはしないはず。
捨てられても、それまでは生きていられるわ。凍えて夜を過ごすよりは、安全……よね?
ちぐはぐな事を言っていると思いながらも、少女は一人頷く。
どこへいっても、わたしが独りなのは同じ。
自分で自分を説得した少女は、汚れを払いながら立ち上がり――青年の手を取った。
「これで、いいんでしょう?」
問いかけた青年から返ってきたのは、さきほどよりもはっきりとした笑みだけ。
ほんの少し不安を抱えながらも、歩き出した青年に手を繋がれて少女は歩いていく。
繋がれた手は、外にいたにも関わらず暖かかった。
生きるために、少女は差し伸べられた手を取った。
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