残夢


暗い底無しの夢を見ていた。
何処なのか解らない暗闇の中に、ぽつりといる自分。
自分の他には誰もいない。
光も見えず、生きているモノの気配は自分だけ。
ここは何処で、如何して自分はここにいるのかを考える。
記憶に残るのは……酷く曖昧な感情。
とても楽しいことをして、すごく悲しいことがあった。
それだけはたしかだった。

「晃平ーもう起きたらぁ? 太陽昇ってるよー」
パチリ、と瞼を開くと、そこには愛しい夕霞の顔があった。
おはようと寝ぼけた声で挨拶をしてみる。
「もー寝ぼけすぎだよ。せっかく私の誕生日なのに。あははは」
ちょっと待て。夕霞の誕生日は明日だったはずだ。
けらけらと笑う本人が間違えるとは何事。
「夕霞、お前の誕生日は明日だぞ」
「明日も今日も同じだよ。いいじゃない、今日で」
「そんな曖昧でいいのか……」
「いいから。好きなもの買ってくれるんでしょう」
夕霞の好きなもの。それはつまり。
「リアルな人体模型とかは買わないぞ」
「人体模型? 晃平がいるからいらないよ」
「それはどういう意味だ」
「そうじゃなくてね、ホルマリン……」
「却下」
華奢な身体にかわいい顔をしている夕霞。性格もいいのに、唯一の欠点がある。
それは、変なモノが好きということ。
ホルマリン漬けとか、解剖した奴とか。リアルな目玉の玩具とか。
さわるとぷよぷよしていて、気持ちいい。
「何よう。晃平だって、にやにやしながら買ってるじゃない、解剖セット」
「ホルマリンよりはいいだろ、解剖の方が。それにセットじゃない、キットだ」
「どうせなら、ばらばらにしたのでホルマリン漬け作ってくれればいいのに」
どこまでも話が続きそうなのは気のせいなのだろうか。
とりあえず、起きた方がいいと思う。
ベッドの横に置いてある眼鏡を手にとって、掛けようとして、止まった。
レンズが白く汚れている。なんだ、また夕霞が何かしたのか。
とりあえずベッドの掛け布団で拭ってから装着する。
ちょっと白いけどなんとか見える。大丈夫だろう。

寝起きの顔やら頭やらを整えて、外に出たのは午後三時過ぎ。
それから、欲しいものがあるからと引きずられた。
あちらこちらの妙な店へと連れ回されてかなり疲れた。
かれこれ三時間くらいは経っている気がする。
夕霞が持っている紙袋には、割れないように丁寧に包まれた、様々なホルマリン漬け。
ホルマリン漬けを作るセット。
まずはここから、と書いてある解剖キット。
何が、ここからなのかが、わからない。

持たされている紙袋には、新鮮な蛙と小鳥。
最近錆びてしまったから、代わりのナイフ。解剖キットはもう必要ない。
ナイフひとつで十分バラせる。予備にいくつか買ったけども。
「随分暗くなってるな……夕食どうする?」
「夕食かぁ……部屋に戻ってからでいいと思うよ」
「作るのか?」
「作らなくても、あるよ」
家に何か食材あっただろうか。まさかホルマリン漬けじゃあるまいだろうな。
漬かってないものならともかく、薬品漬けはまずいと思う。
「あ、新鮮だから大丈夫だよ?」
何を食べるんだろうか。

奇妙な夕霞と自分。
解剖されたモノが好きな夕霞と、解剖するのが好きな自分。
ウェブのサイトで出会って、同棲した。
猫や、蛙や、ネズミ。
ばらばらになった姿を、横で眺める夕霞。
うっかり太い血管を勢いよく切断してしまって、血液が噴出したとき。
間近で見ていた夕霞の白い頬に跳ねて。
どうしようかと考えていたら。
興味津々な表情で、返り血をぺろりと舐めた。
そしてまた解剖を眺めていた。
あとで、美味しかったと言っていた。
個人的には、ネズミより蛙の方が自分は好きだけど。

ある日バイトから帰ってくると、部屋の中で血まみれになっている夕霞がいた。
よりにもよって、ベッドの上で。
夕霞の周りには、ガラスと薬品が飛び散っていて。
どうやら、ガラスのホルマリン漬けを握り潰したらしい。
素手で潰すとは、すごい力だと感心した。

  潰したら、どうなるかなって思ったんだ

そういって、微笑んだ血濡れの夕霞
ガラスで切ったのかと思っていた血は、ホルマリン漬けのものだった。
中身を潰したら、ぐにゃりという柔らかい感触と共に血が流れ出したらしい。
鮮血とも、酸化した血液とも違う、薬品漬けの赤色。
それはとても不思議な色だった。

「ねえ、晃平」
「何だ?」
「今日誕生日だよね?」
「正確には明日だけどな」
「お願いがあるんだけど……いい?」
「まあ、誕生日だからいいか」
何をねだるのだろうか。また解剖を見せてくれというのだろうか。
というか今まで買ったホルマリン漬けは、お願いには含まれていないのか?
どんなお願いなのか、楽しみだ。
「あのね……さっそくキット使ってみたいの。その後、夕食にしようよ」
そういって、にっこり微笑む彼女。
ああ、なんだ。そんなことか。
「いいぞ――ちょうど試し切りをしたかった所だから」

さあ、始めようか。

薄暗い部屋の中で白く浮かぶ身体。
夕霞は、こちらに手を伸ばして、服を脱がそうとしている。
服を脱がしながら聞かれた。
「ね、どこなら切っていい?」
「どこでもいいぞ。どこでもいいか?」
「どこでもいいよ。晃平ならどこだってあげるよ」
くすくすと幼い少女のように笑う。
そして脱がしざまに、すぅっと腕をナイフで撫でていく。
ひやりと冷たい感覚が残る。
その次に、今とは反対の左腕を浅く切り裂かれた。
桃色の傷口から滴る血を、赤く扇情的な舌で舐めとる夕霞。
とても、綺麗だと思った。
腕を伸ばし、むき出しの乳房へとナイフを滑らせる。
抉るようにして肉を切り取り、口に含む。
お馴染みのすこし苦い血の味と、ほのかに甘い脂肪の味。
小さく赤い、抉られた傷口に、白い乳房。
再び抉ろうかとしている腕に夕霞が噛み付く。
ほんの少しの肉を抉って離れる小ぶりな唇。
「……どうだ? 夕食の味は?」
「ん。初めてだけど、サイコー」
「ならよかった」
「――ねえ、お願いがあるんだけど」
「まだ何かあるのか?」
「これが終わったら……私を殺して?」
「何故? もう飽きたのか?」
「違うよ。晃平に飽きたんじゃない。生きてることに飽きたの」
「死んでどうする? また飽きるかもしれないぞ」
「そうしたら、その時に考えるよ。今ここで、晃平に殺されたい」
「これが、終わったらな」
「うん――ありがと」
「どういたしまして」

なんだか不思議な夢を見ていた気がする。
なんだか悲しい夢を見ていた気がする。
なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。
黒い闇以外に何も見えないはずの空間の中。
立っているのか座っているのかわからない自分。
そんな自分の隣を見てみる。
ゴロリトコロガル――夕霞の死体。真っ赤な血液。
腹部にはぽっかりと黒い穴が開いている。
内臓は、抜いてホルマリン漬けに。
肉は、すべて美味しくいただいた。
残っているのは、干からびた骨ばかり。
そう、約束どうりに夕霞を殺した。
そしてその後、自殺した。
気が付くと、この場所だった。
夕霞の死体はあるのに……ホルマリン漬けはない。
一体何処に忘れてきてしまったのだろう。大事なモノなのに。
「誕生日……おめでとう」
抜け殻に言葉を落とす。
何日……時間があるのかすらわからないけれども。
まだ、夕霞の味は覚えているよ。
干からびた死体をよく見る。 
酸化しているのはずの血液。
赤い……赤い血液。
どうにも白く靄が掛かって、見えずらい。
  眼鏡を外そうとして……止まる。
ふと思いついて、自分の顔へと手を伸ばす。
指先で、眼球を抉りだして見た。
痛みは……ない。
残った目玉で、取り出した眼球を見てみる。
ああ、なんだ。
腐っていたのは、眼球じゃないか。
役に立たない眼球を抉りだし、そのまま捨てる。
小さな音が、響いた。
無音の闇の中、焼きついているのは――夕霞の白く光る裸体。
ああ、この夢の終わりはどこだろう。



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