五日目
話を聞いてから二日後、私は学校を休んだ。
前日はちゃんと登校したのだけれど、ろくに授業に集中することができなかった。兄には体調が悪いといい、欠席させてもらった。余計な心配をまたかけてしまったのだけれど、もうすぐそれもなくなると思えば……仕方がないのかもしれない。
普段ならば授業を受けている時間に部屋にいると、ひどく違和感を感じてしまう。今はそんな場合ではないのだけれども。一人部屋の中で、考える……どうするべきか。
今通っている学校は、好きではない。学校に好きで通ってる人なんてほとんどいないだろうけど。特別大事なものも……ない。強いて言えば、自分の命かもしれない。死にたくはないと思うから。
本当に気にかかっているのは、兄さんのことなのだけれど。わたしがいないほうが面倒を見なくて済むから、楽になるはずだわ――わたしがそう思い込みたいだけなのだけれど。わたしは我侭だから。すごく心配してしまうとしても、きっと選んでしまうだろうから。兄さんは、幸せになるべきよ。いつまでもわたしのことなんか気にしてないで。兄がどう思っているのかは、怖くて聞けないけれど。
こんなに臆病なわたしはどこかへ行こう。記憶を抱えたまま、誰も知らないわたしになろう。痛いのは正直嫌だけれども、仕方がないと思う。ただひとつ気になるのは……彼は連れて行ってくれるのかしら? 時間をやるといっていたからなのか、昨夜は来なかった。子守は嫌だといっていたけれど、一人で置いていかれるのは嫌だ。そうなるくらいなら、死んでしまったほうがまし。もう二度と置いていかれたくないから。
置いていかれたくないのに置いていくなんて、矛盾しているのだけど。
死ぬかもしれないのに、わたしは何を考えているんだろう。一人部屋の中で、自嘲気味に笑った。
とりとめのないことを考えながら、そわそわと夜を待った。
夜も深くなるころ、ベランダから窓を開けて彼は部屋へとやってきた。わたしはベッドに入って本を読んでいた。この前はいきなり消えたけれど、今日は普通に現れた。なんだかそれがとてもおかしくて、わたしは小さく笑ってしまった。何を笑っているのか、と眉をひそめられてしまったけど。窓際に佇んだまま彼がわたしに言った。
「それで……結局のところはどうするんだ?」
「死んでしまってもいいから、お願いしたい」
これから先の日々よりも、わたしにとってはこの夜のほうが大切で。今日でわたしがいなくなってしまうとしても、後悔はしない。わたしは……自己中心的で、我侭で、おまけに頑固だから。
「死という言葉をたやすく口にはしないことだな……まぁいい始めるぞ」
わたしが心の中で独り言をいっていると、彼がそういった。
「準備とかは特に何もないのね」
「必要なのは、お前の覚悟、それだけだ」
そういうと彼はベッドへと近づいてきて、わたしの背中へと手を回した。上半身を起こしたまま、背中を支えられるような体勢になった。
「深呼吸をしたら、息を止めろ。うっかり舌を噛むなよ……」
わたしは言われたとおりに深くゆっくりと、深呼吸をした。知らず知らずうちに、心臓がどきどきとしているのが感じられた。息を止めて、一度瞼を閉じてから再び目を開けた。軽く視線を彷徨わせていると、彼の腕が後ろに一度引かれて――直後にわたしの胸を衝撃が貫いた。
唇から、くぐもった音がこぼれた。腕で貫かれたのだとわかったのは、それから少し後のことで。点滅する視界の中、彼の腕が見えたから。 何かを確かめるように手が動くたびに、熱さが喉へとせりあがってくる。歯を食いしばりすぎたのか、口の中で鈍い音がしたように感じた。ぐらぐらとする視界の中、彼の手が何かを握りつぶして、わたしは悲鳴をあげたのだと思う。呼吸ができていたのか、声がでていたのかなんてよくわからない。ぼやけていた視界が急激に黒に塗りつぶされて、意識が遠のきかける。開いているのかもわからなくなって、瞼を閉じようとしたとき……口の中に苦味が広がって、視界がすこしだけぼやけて見えた。いつの間に近づいていたのかわからない。彼の顔が遠のいてから、今のは血の味だったのだと気が付いた。一度は見えるようになった視界も、次第にまたぼやけかすんでいく。熱さも痛みも、何も感じなかった。フェードアウトしていくなか、自分の胸を見ると真っ赤に染まっていた。まるで、花が咲いたようだと思った。今度は確かに瞼を閉じて、暗闇のなかへと意識を溶かしていく。
何もかもがあいまいになっていく意識の中……
「明日の夜……迎えに行く。準備をしておけ」
そんな、彼の声が聞こえた。
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