Lacrimosa



 今年も 彼女の命日がやってきた。 

 透き通るように冷たい冬の空を見上げていた。
 通りを歩く人影は少なく、静かな時間が流れていた。
 冷たい風が吹き抜けて、思わず僕は身震いをした。
 厚手のコートの襟を合わせた。
 片手に持った花束が、かさりと揺れた。
 僕が向かっているのは、霊園。
 死者たちが埋葬されている場所だと思うと、自然と足取りは重くなってしまう。
 それでも、僕はお墓参りに行かなければならない。
 僕には義務があるのだから。
 だって、僕が彼女を殺したんだから。

 忘れもしない……彼女が死んだ日のことは。

 彼女は、通り魔に殺されて死んだ。
 あの日僕たちは、二人で出かけた帰りだった。
 僕は彼女を家まで送ろうとしたのだけれど、彼女はそれを断った。
 だから、家に帰る途中で別れたんだ。
 そうして、僕は一人で家に帰った。
 彼女は一人帰り道、通り魔に襲われて死んだ。
 殺したのは、通り魔だ。
 だけど殺された理由は、僕が作ったようなもの。
 彼女を一人で帰してしまったから。
 あの後、僕が一緒に帰っていれば、彼女は死なずに済んだかもしれない。
 でもそれを言うと、友人たちは皆口をそろえていう。
 お前も死んでいたかもしれないぞ、と。
 だが、それがいったい何だというのだろう。
 彼女が助かるなら、僕が代わりに刺されたっていい。
 彼女と一緒に刺されて死んでしまたっていい。
 心残りなのは、彼女だけが逝ってしまったことなんだから。
 僕の心の中には、数年経った今でも、その想いだけでいっぱいだ。
 彼女の死を、警察は事務的に処理をした。
「お悔やみ申し上げます」
 そんな言葉を。表情も動かさずに、口だけを動かして言った。
 まるで、よくあることだとでもいわんばかりに。
 僕もそんな風に割り切れたら、どれだけ楽だったろうと思う。
 でもそんなことをしてしまったら、彼女に失礼な気がしていた。
 
 彼女の命日の日は、いつもこうして墓参りに向かう。
 歩きながら、幾度となく繰り返した懺悔。
 この言葉が、少しでも彼女に届けばいいのにと思う。
 そんなこと、叶うはずなんてないのに。
 鬱々とした気分で歩き、霊園に着いた。
 すっかり覚えてしまった道を真っ直ぐ歩いて、彼女のお墓へ向かう。
 彼女のお墓は、綺麗に掃除されていた。
 恐らくは、彼女の両親がまめに行っているのだろう。
 お線香と彼女が好きだった和菓子が供えてあった。
 僕はしゃがみこんで、持ってきた花束を供える。
 僕が好きな花と、彼女が好きな花の二種類の花が入っている。
 僕が供えた花は、麦藁菊という花。
 綺麗な白色をしている。
 他にもオレンジや紅、ピンクなどの色があるけれど……
 僕が好きなのが、白色だった。
 花びらは少しガサガサとしているけれど、光沢はある。
 この花の花言葉は――

「永遠の記憶」「思い出」
 
 これは、僕の思いそのもの。

 もう一つの花は、ネリネ。
 きらきらと光沢のある花びらは、美しい。
 彼女が好きだったのは、ネリネの紫色。
 この花の花言葉は――

「幸せな思い出」「また会う日を楽しみに」

 彼女は本当にこの花が好きだった。
 花屋に行くと、見つけ次第すぐに買っていた。
 この花と同じくらいに、彼女も素敵だった。
 明るくて、朗らかで。
 いつも優しく微笑んでいた彼女。
 物腰が柔らかくて、綺麗な人だった。
 月並みな言葉だけれど僕にとって彼女は、女神様みたいな人だったんだ。
 彼女の側はとても暖かくて、居心地がよかった。
 そう、幸せだったんだよ。
 本当に毎日が輝いていて。
 僕の隣で彼女は笑っている。ただそれだけでよかったのに。
 あの日、僕が一緒にいてあげられれば。
 でも彼女はもういないんだ。
 彼女は最後の瞬間、どんな表情をしたんだろう。
 僕がわかるのは、苦しんだということだけ。

 この花は、彼女の家の仏壇にも飾ってあった。
 前に僕は彼女の両親の家に挨拶にいったんだ。
 この花と同じものが、彼女の写真の前に供えられていた。
 彼女の遺影に手合わせしに行ったというのもあるのだけれど……
 僕は、彼女の両親に謝罪をしに行った。

『殺してしまって ごめんなさい』

 僕はそう彼女の両親に告げた。
 その瞬間の、二人の顔が今でも忘れられない。
 父親は目頭を押さえ、母親は静かに泣いていた。
 それを見て、僕はまた思ったんだ。
 僕は、なんて罪深いことをしてしまったんだろうって。
 やっぱり僕が悪いんだ、そう思った。
 彼女さえ生きていれば、この二人も笑っていたのに。
 少し遠い場所から、その光景を眺めているような感覚だった。
 彼女の両親は、言ってくれた。
 君のせいではないんだよって。
 でも、その言葉は僕にはきっと届かない。
 仕方がないなんて、そんな風に言わないで欲しい。
 人はいつか死ぬ。それは彼女も同じだ。
 でもあの日あんなことにならなければ、彼女はまだ生きていたはずだ。
 僕は運命なんて、そんなあやふやなものは信じない。
 だから彼女の両親が言った言葉は、慰めにしかならないんだ。
 両親はこうも言っていた。
 自分の人生を生きて欲しいと。
 あの日から毎年、僕がお墓参りをしているのを知っているのだろう。
 命日じゃなくとも、僕は時間さえあればあそこにいく。
 はたから見れば、物凄く依存しているように見えるのだろう。
 だって、彼女はそれくらい大切な存在だったんだから。
 彼女がいない世界なんて、嫌だ。
 できることなら、このまま消えてなくなりたい。
 でも、死んで彼女に会える確証なんてない。
 それなら、僕は全てを抱えて生きる方を選ぶ。
 
 彼女のお墓に、小さな声で言葉を手向けた。
 その声すらも、冷たい風がさらっていった。
 ゆっくりとした足取りで僕は霊園を後にする。
 来た道をまた同じように戻る帰り道。
 考えるのは、これからのこと。
 いつまでも、このままじゃいけないのはわかってる。
 でも、彼女のことを忘れることもできない。
 抱えたまま、新しい彼女を作るなんてこともできない。
 変われないと思うし、変わりたくもない。
 とても消極的で後ろ向きな考えだと自覚はしている。
 思うがままに行動できたら、苦労なんてしない。
 たぶん、僕はずっと死ぬまでこのままなんだろうなと思う。
 
 毎年変わらずにやってくる、彼女の命日。
 誰かが彼女を覚えている限り、花を手向け、言葉を手向ける……
 憂鬱な気分と、愛しい気持ちに包まれるこの日は。
 僕にとって、永遠の涙の日。

 
 

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