熱うかされた春の日

 その日、青年が少女の異変に気づいたのはお昼を少しばかり過ぎてからのことだった。
 普段は午前中には必ず起きてくるはずの少女が、珍しく起きてこなかったからだ。
 どうしたのかと思い、青年は少女の部屋に向かった。
 扉をノックしたが返事がないので、ためらいつつも部屋へと青年は入った。
 少女が眠っているベッドへと近づき様子を見ると、顔が赤かった。
 身体を揺すってみたものの、微かにうなり声が聞こえるだけで。
 もしやと思い額に手を当ててみると、熱かった。
 どうやら、先日のお花見のときに誰かから風邪をもらってきてしまったらしい。
 そうとわかって青年は少し慌てたが、かいがいしく世話をした。
 氷枕を作り、おかゆやゼリーを作ってみたり。
 台所と部屋を行ったり来たりしていると、少女が身じろぎした。
 思わず、大丈夫かといいたくなったが、自分は声が出せないのだと思い出す。
 このときばかりは、少女の名前を呼んであげることのできぬ自分を、青年は恨めしく思った。
 目が覚めたらしい少女は、ベッドから身体を半分だけ起こした。
 夢うつつなのか、視線はふらふらとしている。
 そんな少女に青年は慌てて、大丈夫? と書いてある紙を手渡した。
 実際、少女は熱があるのだから、大丈夫も何もないのだけれど。慌てた青年には気にならないようで。
「――なんで、ここにいるの?」
 ぼうっとしたまま少女は青年にたずねた。どうして自分の部屋にいるのかが気になったのだろう。
『熱、あるみたいだけど、大丈夫?』
 青年の口の動きをじーっと見てから、少女は手渡された紙へと視線を移した。
「そうね……あっつくて、くらくらする。風邪、引いたのね」
 返事をして、紙を青年へと戻した。すると、すぐにまた何かを書くと青年は少女へと渡した。
『なにか、食べ物は口にできそう?』
「食べられるかはわからないけど……お腹はすいてるみたい」
 少女の言葉を聞いた青年は、待ってて、と伝えると部屋を後にした。 
 作っておいた料理やら何やらを持ってくるのだろう。
 少女はしばらくぼーっと青年の出て行った扉を見ていた。
 頭が重いわ……それに、すごく熱い。まるで燃えているみたい。
 風邪なんて引いたの久しぶり。路地裏で眠っていても、風邪なんて平気だったのに。
 誰かと一緒に生活してるから、気でもゆるんだのかしら。
 だからといって、前みたいに常に回りに気を配るっていうのも無理よね。
 はぁ……頭いたいわ。
 少女が悩んでいると、青年が戻ってきた。手で持っているお盆には、いくつかの器がのっていた。
 そのままサイドテーブルへと青年は器を並べていく。
 湯気のたちのぼるそれを見て少女は言った。
「これ……おかゆ?」
『そうだよ』
 頷いて、青年は唇を動かした。食べやすいようにと配慮したようだ。
「熱いときに熱いものを食べたら、余計にあつくならないかしら?」
 手渡された器を落とさないようにしながら少女がたずねた。
 渡し終えると青年は紙にさらさらと返事を書いた。
『こういうときは、熱いものでも食べて、汗をかいたりした方がいいんだよ』
 そういうものなのかしら……と疑問に思いながらも少女は、スプーンを動かす。
 あまり料理の腕が関係なさそうなおかゆでも、青年が作ったものだからか、美味しかった。
 味が濃すぎることもなく、薄すぎるわけでもなく。
 ひじきと、卵が入っていて、優しい味がした。
 料理は、作る人の性格がでるのだと少女は思った。
 しかしさらに少女は思った。性格が味に出るのなら、自分の料理はどうすればいいのかと。
「…………気のせい、よね」
 ぼそぼそと呟きだした少女に、青年は首をかしげる。何が? と目がいっている。
 なんでもないといいながら、少女は食事を再開した。
 不思議そうにしながらも、青年は少女のお世話を続けた。

「そういえば……聞きたいことがあるんだけど」
 あの後青年が運んできたゼリーを食べ終えた少女はいった。
 なに、と口の動きだけで青年は続きをうながした。
「今さらいうのもあれなんだけれど、ずいぶんとまめなのね。ご飯とかも作ってくれたし。
 わたしのことなんて、ほうっておけばいいのに」
 食事を終えたせいか、再びぼうっとしてきているようだ。
 首を横に振りながら、青年は紙に書いて渡した。
『そんなことできるわけないじゃないか』
「どうして? それは拾ったから、責任感?」
 違う、と青年は先ほどよりも強く首を振る。それをぼんやりと少女は眺めている。
 少し雑な文字が書かれた紙には、こう書いてあった。
『ただの、おせっかいだよ。君を拾ったのも、君が独りだったからだよ』
 それを読んで少女は――
「やっぱりあなた、変な人ね。変わってるわ」
 それはどうも、と唇を動かしながら、青年は肩をすくめた。
 おどけているような、呆れているような、そんな仕草だった。それでも顔は笑っていたけれど。
 青年にしては、珍しい仕草だった。
「そろそろ……また寝るわ。……ありがとう」
 そういうと少女は毛布をかぶりなおして、眠る体制に入ってしまった。
『おやすみ』
 そういうと青年は少女の部屋を後にした。

 台所で食器を片付けながら、青年は一つ咳をした。
 その反動で、うっかり食器を落としそうになってしまい、少し慌ててキャッチした。
『風邪……うつったかな?』
 コンコンと咳をしながらも、青年は洗い物を続けている。
 後で薬でも飲んでおこうと思いながら、青年は食器を拭き始める。
 僕はともかく、彼女の風邪が早く治るといいのだけれど。
 自分のことはあまり気にせずに、人の面倒ばかりを見てしまう。
 お人好しな青年なのであった。 
 そんな青年に拾われた少女は、幸か不幸か。少女にしかわからないのだけれど。
 熱にうかされながら、暖かな春は通り過ぎていった。
 
 
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