第一夜




とても懐かしい夢を見ていた気がする。
私は窓から差し込む、太陽の光で目を覚ました。
あれは、主といた頃の夢だった。
戦争が、始まる前ではないだろうか。
機械人形オートマタの私が夢を見るのも、随分と変な事だったが。
クローゼットを開けて、服を選ぶ。
華やいだ色彩の服が並ぶ中、一般的なメイド服を手に取った。
基本的には何色でもいいのだが、明るい色は、あまり好まない。
手早くメイド服を身に纏うと、私は階下へと静かに降りていく。
一階へつくと、デスクの上で書類仕事をしているマスターに声を掛ける。
「おはようございます、マスター」
マスターは私の声を聞いて、書類から視線を外した。
そのまま薄く微笑んで、返事をしてくれた。
「お早う御座います、ルナさん」
銀髪碧眼。彼が今の私のマスター。
アルフォンス=オーギュスト。
私を作った主と似ている人。あるじに、似て非なる人。
「貴女、またその服を着ていますね?他の服もあるでしょうに……」
彼が私の服を見て、そう漏らした
確かに色々な服があるが、その中で一番替えが多い服だ。
「私は、あのような明るい色は好まないのです」
私が今着ているメイド服は、黒を基調とした、地味なデザイン。
彼は、あまり気に入らないらしい。
まったく……と言い、彼は私の方へ書類を一枚差し出した。
「それが今夜の依頼です。ちゃんと目を通しておいてくださいね」
受け取ると、服のポケットへ畳んでしまった。
彼は書類に一区切りがついたのか、私の方を見て言った。
「ルナさん、コーヒーを淹れてくれませんか?貴女が淹れてくれた方が、美味しいんです」
「誰が淹れても、味など変わりません」
私はそう返事をしながら、キッチンへと向かった。
棚の中から豆を取り出し、器具を使い、豆を磨り潰していく。
丸い形をしていた豆が潰れて、粉末になっていく。
後はフィルターをセットして、鼓す。
確か彼が好むのは、ブラックだった。
私はソファーで寛ぎ始めた彼の所へ持っていった。
ありがとうございます、といって受け取り、一口飲んだ。
豆を磨り潰して濾した黒い液体が、美味しいものなのだろうか。
「ルナさん、貴女も飲んでみませんか?」
「飲みません。お一人で飲んでいてください」
私を壊すつもりですか、マスター。
くすくす笑う彼は言う。
「冷たいですねぇ。見た目は綺麗なのに」
「冗談は止めてください」
軽く肩を竦める彼を見た。
透き通るような銀色の長い髪。海よりも深く、濃い蒼い瞳。
白いラフなシャツに、黒いズボンを着用している。
肌は陶器みたいに白く、血の気があまり感じられない。
触れると、冷たいのではないかと思うほどに。
でも、きっと触れれば暖かいのだろう。私とは違って。
彼は、人間なのだから。
「それで……何か仕事はありますか?」
私は暇なので、彼にそう切り出した。
本来は書類仕事なのだが、既に片付いているようだから。
「そうそう。猫を探してきてください」
「――猫ですか? それは……仕事なのですか」
「ええ。もちろん仕事です。迷子になってしまったそうです」
雑用の間違いではないのだろうか。
彼は私に一枚の写真を見せた。
そこには白黒のぶち模様の猫が写っていた。
瞳は、金色をしている。この猫を探すようだ。
「うちは何でも屋なんですから、ちゃんとお願いしますね」
彼はそういうと、コーヒーカップを置きに行ってしまった。
「では、すみやかに探してきます」
そういい残して、私は事務所を後にした。

猫などすぐ見つかると考えていたのだが……
私の考えが甘かった。
猫が珍しいと思っていたのは、間違いだったようだ。
事務所付近の住人に聞いて回ったが、未だに見つからない。
猫が珍しいのではなかった。数が多すぎたのだ。
まず初めに、教えられた猫の溜り場に行ってみた。
すると、建物と建物の狭いスペースに、彼らはいた。
小さな子猫、目つきの悪い親猫。
血統書がついていそうな猫から、一目で野良とわかる猫まで。
とにかく大量の猫が……いた。
みゅーみゅー、にゃあにゃあと騒がしかった。
写真と照らし合わせようとするも、すばしっこくて見えない。
柄にも種類がありすぎて、見分けがつかなかった。

まさか、このフェルシオンの街に、こんなに猫がいたとは。
狂った歯車の街、クレイジーギア。
頭の中に、この街の別名が浮かんだ。
機械人形が多いからそう呼ばれているらしいのだが……
猫の街という名前がついてもおかしくないかもしれない。
私達よりも、猫の方が多いんではないだろうか。
もしかして、他のノエルやサウスギアにも猫が大量にいるのか。
単体では猫はかわいいと彼は言っていたが。
正直いうと、多すぎてかわいいというよりは、異様だ。
空を見上げるともう昼間になろうとしていた。
事務所を出たのは朝だというのに。
あんとしても、夜までには探し出さなければ……
焦りを感じつつ歩いていると、人通りが少ないことに気が付いた
どうやら、スラムの方まで来てしまっていたらしい。
フェルシオンの無法地帯。 一般的に、危ない人の住処。
私やマスターも仕事の時以外は、ほとんど立ち寄らない。
周囲の建物は、すべて窓にはカーテンが降りている。
時折、人影がちらちらと動いている。
私は辺りを警戒しながら猫を探す。
いつ襲われてもおかしくはないからだ。
路地裏なども探してみたが、やはり姿は見えない。
あまりスラムには長居したくないというのに。
その時だった。今にも消え入りそうな猫の声が聞こえたのは。
鳴き声が聞こえた方を見ると、ゴミ捨て場があった。
私はゴミ捨て場に行くと、片っ端からゴミを退かしはじめた。
ビニール袋を退かし、ポリバケツを退かし。
すると、一つだけ妙に重いバケツがあった。
違和感を感じて、私はバケツの蓋を開けた。
そこには、写真で見た猫が入っていた。
ゴミの中に埋もれるようにして。
さっきよりも小さい声で鳴いている猫を抱えて確認をする。
模様も黒と白のぶち柄で、瞳も金色。
ただ、一つだけ写真とは違う所があった。
「……スラムなんかに来るからです」
その猫には、尻尾がなかった。
恐らく誰かが悪戯をしてしまったのだろう。
殺されなかっただけでも、この猫は運がいいといえる。
本来尻尾があるべき場所には、赤黒い穴が開いていた。
ぽっかりとした穴は、無理やり引き抜いたような感じだ。
これだから、スラムは嫌いなのだ。
確かに猫は見つかった。しかし、これで仕事完了といえるのか。
もやもやとしたものを感じながら、事務所へと向かった。

見つけた猫は、後でマスターが返すらしい。
私は自室で着替えをしていた。
汚れたメイド服を脱いで、黒いシャツと黒いズボンを身に着ける。
シャツの上には、黒いローブを身に纏う。
これが、私の仕事衣装。
最後に、クローゼットの下の棚から、短剣を取り出す。
冷たい鞘は、黒塗りされている。二つでワンセットになっている。
準備が完了したので、私は階下へ降りていった。
事務所に行くと、マスターが声を掛けてきた。
「おや、準備はもう終わりましたか?」
彼はめったに外には出ないから、服装は昼間のままだった。
仕事の情報などは、パソコンや電話などを利用しているらしい。
「たいして準備するものもありませんが」
貴女は素手でも平気そうですね、と彼は微笑した。
さすがの私でも、素手は無理だと思います。
機会人形といえど、無敵ではないから。
「時間を掛けるのは面倒です。さっさと始末してきてください」
私に向かって彼がそう言い放つ。……気のせいだろうか。
マスターの機嫌がすこぶる悪いような。
「では、行ってきます」
私は、外へと歩き出した。

彼が営む何でも屋の、もう一つの顔。
それは殺し屋。
どちらかというと、こちらの方が繁盛している。
私はスラムへ向かいながら、今夜の依頼を思い出していた。
確か、私が別の仕事をこなした後に、客が来た。
郊外から来た資産家らしかった。
つるりと禿げ上がった頭を晒しながら、ぺらぺら喋っていた。
依頼内容は、ライバル会社の社長の暗殺。
凄い依頼人だと、浮気相手を殺して欲しいというのもある。
そういった場合は、とりあえずは落ち着かせているが。
マスターはつまらなさそうに、男の話を聞いていた。
殺してくれさえいれば、金は出すと連呼していた男。
それはもう騒がしいくらいに。
世の中金がすべてと思っているタイプですね。
後で、そう彼が言っていた。
愚かしいくらいに、金に執着しているタイプ。
だから、マスターの機嫌が悪かったのだ。
彼はそういった種類の人間を、一番嫌っている。
しかし、依頼は依頼。
殺し屋をやっている以上、代価さえあれば仕事はする。
彼は男からぼったくりともいえる額を請求した。
男は、二つ返事で了承した。
生きている限り、邪魔になる奴などいくらでもいるだろう。
その度に始末していては、キリがないというのに。
それに気づけない、哀れな男。

依頼を反芻していたら、スラムに着いていた。
私は依頼人がいっていた建物を探す。
今夜は月も出ていない、闇夜。
機械人形の私には、関係のないことだけれど。
元々戦闘用に作られている私は、こういう事は得意だ。
暗闇の中、目標の建物を見つけた。
入り口には、見張りの男が二人いる。
古い軍服を着ていて、腰には帯刀している。
上を見上げると、四階から明かりが漏れていた。
最上階は、五階のようだ。
他の建物の屋上から飛び移れないこともないけれど……
少々危険性が高すぎる。
私は少し考えて、正面突破することにした。
恐らく中にはまだ人がいるだろうが、大したことではない。
仕事の邪魔をするのなら、殺すだけ。
私は剣に手を掛けながら、建物へと近づいていった。
さぁ、今宵も踊りましょう?

入り口とは反対方向から、静かに近づいていく。
二人の男の様子を見るが、気づかれていないようだ。
それどころか、よく見ると一人は居眠りをしていた。
眠っている方に近づいて、首に手刀を一発。
男は小さく呻き声をあげると、あっけなく崩れ落ちた。
「おい、一体どうした?」
もう一人の男が気を取られている内に、建物に侵入しようとした。
刹那、銀色の煌きが目の前を一閃した。
「おまえ、何者だ?」
男が、私に向かって長剣を構えていた。
先ほど居眠りしていた男よりは、できるようだ。
「あなたに名乗る名前などは、ありません。退いてください」
「俺らはこれでも門番なんでね。――通すと思うか?」
「では、あなたを排除するだけです」
私はゆっくりと短剣を抜き取り、構える。
男は、私の事を鋭い目つきで睨んでいる。
……威嚇しているつもりなのだろうか。
生憎、私は恐れなんてモノは持ち合わせていない。
剣を持ち直し、私は相手の胸元へと一気に踏み込んだ。
首を狙って腕を振るうが、素早く回避されてしまった。
片手で切りつけるのには、無理があったのかもしれない。
そのまま剣を振り下ろされたが、腕で受け止めた。
受け止めた後、少し間合いを取った。
私の体は、そんなにヤワに作られてはいない。
男の方から微かに、舌打ちの音が聞こえた。
「お前、機械人形か」
そういいながら、男が突っ込んでくる。
金属同士が重なり、甲高い音が響く。
「この街では、珍しくもないでしょう?」
どちらも大きく動くことはせず、斬り合いが続いた。
受け止めては、切り返す。
……早く依頼を終わらせなければ。
私は再び男の胸元に踏み込む。最初よりも、早いスピードで。
もちろん受け止められるが、もう片方の手を、無防備な首元へ。
レモンを切るような軽やかな音がして、鮮血が飛び散った。
「それでは、さようなら」
剣を受け止めていた手を払い、もう一度斬りつける。
狙うのは、頚動脈。二撃で確実に断った。
少し深く斬り過ぎたせいで、男の喉まで切ってしまった。
ヒュウヒュウという音が喉から漏れている。
どの道、長くはないだろう。
私は男をその場に残して、建物へ入り上を目指した。

埃っぽい階段が続いていた。
ほとんど暗闇に近く、また使われている気配もない。
こういう場所が隠れ家には、うってつけなのだろうか。
しばらく階段を上ると、四階へと辿り着いた。
階段からでも、零れる明かりは確認できた。
周囲を警戒するが、特に人の気配は感じられなかった。
なんと無防備なのだろうか。
それほどまでに、先ほどの男を過信していたのか。
さっきは少し遊びすぎてしまった。 そろそろ終らせなければ。
私は明かりが漏れる部屋の前に行き、扉の隙間から覗いた。
中では、神経質そうな痩せた男が、金勘定をしていた。
依頼人が金の亡者ならば、殺害相手もまた然り。
うんざりしながらも、扉に手を掛けて、一気に開けた。
それでもなお男は、紙幣の勘定を止めなかった。
「なんだ。誰も入れるなといったはずだが……?」
しわがれた声だけが、私の方へ飛んできた。
どうやら、男と勘違いをしているらしい。呆れたものだ。
「あなたの眼は、節穴ですか?」
私の問いかけに、ようやく男がこちらを見た。
「な……なんだっ貴様は誰だっ!」
私は答えずに、男にゆっくりと近づいていく。短剣は構えたまま。
対して、男はじりじりと部屋の隅へと後ずさる。
「うわっ……こ、こっちへ来るな」
私が完全に近づく前に、自分で壁際まで追い詰められている。
本当に、なんて滑稽なんでしょう。
男の傍にいくと、その首筋に剣を押し付けた。
「物騒な物を離せッ! 金ならいくらでも出す。
 どうせお前も私の金が目当て何だろう!?」
「私はあなたを殺しに来ただけです」
男は、軽い錯乱状態になっているようだ。
私にとってまったく意味のないことを叫んでいる。
うるさいこと、この上ない。早く始末してしまおう。
首筋に当てた剣に、力を込める。一撃で終らせる。
男の眼は、恐怖に見開かれている。
額には、青筋がくっきりと浮かび、脂汗が滴っている。
充血した眼は、私を食い入るように見つめている。
不意に、質問をしてみたくなった。
「あなたは、私が怖いですか?」
「化け物ォ!わっ、私の目の前から消えろ……」
返ってきた言葉は、まったく答えにはなっていなかった。
聞くだけ、無駄だったようだ。
私は無言で男の首に当てていた短剣をずらした。
「た、助けてくれるのか……?」
哀願するような男の声が、私に向けられた。
助けるなど、するはずがないでしょう。
いったい何処まで愚かなのだろうか。
首から短剣を外して、握りなおした。
そして、私は男の眼に短剣を突き刺した。
硝子を金属で引っ掻いた様な、耳障りな悲鳴が上がった。
男は眼から血を垂れ流しながら、部屋の中を転げまわる。
そんなに痛いのだろうか? 頚動脈よりはマシだと思うのだが。
床には、抉り出した眼球が二つ。茶色の、血に染まった瞳。
粘り気のある赤黒い血は、とても苦そうな感じだ。
誰かが、人の血は甘いといっていたけれど。
今夜は、本当に遊びすぎている。
どうかしている、私。
「さようなら」
私はそう言い、転げまわる男を押さえつける。
そのまま、一気に首を掻き切った。
ブシュウという音と共に、噴水のように血が吹き上がった。
天井まで届いた血液が、ぽたぽたと降ってくる。
私の赤い髪が、より紅く染まった。
赤い天井をしばらく見上げたあと、コートを払って雫を振り払う。
これで、依頼は終了だ。
これ以上の長居は、時間の無駄に過ぎない。
部屋の窓から、軽く勢いをつけて飛び出した。
静かに着地すると、傍には二つの男の死体があった。
早く、マスターの所へ帰らなければ。
何気なく空を見上げると、星が一つ瞬いていた。


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