序夜




薄暗いアトリエは、淡い月光に照らされていた。
月光以外に照らすものは、小さなランプだけだった。
その中であるじが私のメンテナンスをしていた。
白く長い指先が外装を外し、私の中の歯車に触れる。
主の銀色の髪が月光に煌く。
それは、機械人形オートマタの私が見ても、美しいと思うほどだった。
幾度となく聞いた、低い声が私の名前を呼ぶ。
「ねぇ、ルナ。僕が何故君を作ったか、わかるかい?」
主は、私にそう問いかけてきた。
私ごときに主の考えは理解できません。
確か、私はそのように答えたと思う。
それを聞いて、主は困ったように笑っていた。
とても美しい、澄んだ瞳で。
「君は少し、頭が硬いみたいだね……せっかく自我があるのに」
ぼそりと呟きながら、配線を取り替えていた。
とてもその動作は滑らかで、ゆっくりだった。
主のメンテナンスは、いつもそうだった。
まるで、私を労わるかのような手つき。
「主……一つ聞いてもいいですか?」
私がそう訪ねると、簡単に了承してくださったのを覚えている。
優しい人だと、思ったはずだ。
製作者に質問をするなど、普通は考えられない。
「何故私に自我を作ったのですか? 必要性が感じられません」
私の質問を聞いて、主はすぐに答えてくださった。
「君に、しあわせになって欲しいからだよ」
幸せ? それはいったい何なのか、私には分からなかった。
機械人形が幸せというものに、なれるのですか? 主よ。
人形は、所詮道具にすぎないというのに。
「私は、幸せの定義が何か、知りません」
特に深い意味もなく、思うがままに私は答えた。
主は、少しだけ哀しそうに微笑していた。
「今すぐにじゃなくてもいい。……いつかわかるときがくるよ」
主は、やはり哀しそうに微笑したままだった。
私達が会話をしている間に、メンテナンスは終了していた。
動作確認の為、ギチギチと運動していると、主がいった。
「ルナ、君は僕の為に踊ってくれるかい?」
何故、そんな簡単なことを聞くのだろうか。
疑問に思いながらも、躊躇わずに返事をした。
主に向かって、恭しくお辞儀をしながら。
「主の、お望みのままに踊りましょう」
私の返答を聞いて、主はくすりと笑みを零した。
何か、愉快なことを私はしてしまったのだろうか。
人形が主人の命令を聞くのは、当たり前のことなのに。
「ふふ、言ってみただけだよ」
何故か主は楽しそうに見えた。
何か、おもしろい事が始まるかのように。
感情というものは、やはりよくわからない。
突然、ひとつだけ、約束してくれる? と主は言った。
もちろんです、と私は答えたと思う。
「僕を、裏切らないで――絶対に」
裏切ることなどありません、する理由がわかりません。
そう答えると、主は私の髪を撫でてくださった。
私の、赤い髪を。
いつまでも、主の髪を撫でる感触だけが、残っていた。

        


back  next