五夜




「マスター、何をしているんですか?」
 いつものように目覚めて、挨拶をしようとしたら。
 何故かマスターが黒いコートを着ていた。
 仕事の時とは別の種類の黒いコートを。
「おはようございます、ルナさん」
 いつもと変わらぬ笑顔で返事が返ってきた。
「今日はおでかけだそうですよ〜?」
 ゴミを片付けていたシアが言う。
 外出とは、珍しいものだ。何処へ行くのか尋ねると。
「モノトーンですよ」
 笑顔のまま、素早い返答だった。
 これで、彼の機嫌がいい理由がわかった。
 彼は潔癖症ゆえ、人間嫌いなので、しばしばモノトーンへ行く。
 モノトーンの地上では『人形売り』が頻繁に行われているからだ。
 その名の通り、機械人形を売りさばいているそれは、一種のオークションのようなものだ。
 自我があるものないもの。完全な形のもの、作りかけのもの。
 様々な人形たちが売りに掛けられている。
 ここ最近は仕事が忙しく、行けなかった気がする。
「ちょっとお買い物に行ってきますね」
「手短にお願いしますよ」
 どうやらシアが買い物にいったようだ。
 これから出掛けるのをわかっているのだろうか。
 扉に向かって手を振っていた彼が、くるりとこちらを向いた。
「そういう事ですから、貴女も着替えてくださいね」
 言葉を発するやいなや、ソファーの方に歩いていった。
 上に畳んで置いてあった服を私のところへ持ってきた。
 複数あるものの、どれもこれも暖色系のものばかり。
 しかも何故か彼は服を掴んだまま、にじり寄ってくる。
「わざわざ着替える必要も、ないかと思います……」
 後ずさりをしながら、そう答えてみた。
「せっかく出掛けるのですから、たまにはどうです?」
「この間、違う服を着た覚えがあるのですが」
「あれっきりでしょう。その服がよっぽど好きなようですね」
「好みの問題ではありません。利便性です」
「とにかく、違うのを着てくださいね」
 そう言った彼は、私に何着かの服を強引に渡した。
 ヒラヒラとした、桃色のロングスカート――?
 物凄く、動きづらそうなのですが。
 万が一の場合は、いったいどうしろというのでしょう。
 まぁ、いざとなったら、布を破ればいいだけですけど。
 こういう場合、彼は有限実行なので……
 仕方がなく、服を着替えた。
 予想通り、かなり動きづらい。
 移動に邪魔にならなければいいのだが。
「マスター、移動手段は?」
 モノトーンは、車を使うほど遠くはないが、徒歩だと時間が掛かる。
 今までは車を使っていたのだが、あれは二人乗りだ。
 今回はどうなるのだろうか。
「ああ。歩きですよ」
「……マスター、大丈夫なのですか」
「何ですか。私がまるで柔であるかのような言い方」
「失礼しました」
 私達は、疲れを感じないため、いくら歩いても平気なのだが。
 彼は、かなりの距離を歩いても大丈夫なのだろうか。
「彼女も連れて行くのですよね」
「ええ。行った事がないようですし」
 置いていっても、特に心配はなさそうなものだが。
 買い物など、掃除を好むようだから。
 ――そういえば、シアがまだ帰ってきていない。
 この辺りは、そう時間は掛からないはずなのに。
「さっき、念のためにシアさんはメンテナンスをしておきました」
 しかし、徒歩となると、かなりの時間が掛かる。
 今は朝だが、夕暮れまでに帰ってこれるかどうか。
「時間は、夜までには帰ってこれますよ。仕事もないですし」
「今夜の仕事はないのですか?」
「はい。しばらく夜の仕事はお休みですよ」
 少し、妙な気がした。今まで、昼か夜の仕事はあったのに。
「何かあったのですか?」
 いえ、と彼は首を振った。
「どうやら、鼠がうろついているようなのでね。退治しようかと」
 くすりと笑う彼の表情は、どこか楽しげに見える。
 もちろん、彼のいうねずみとは、動物のことではないだろう。
 私の仕事中には、誰の見かけなかったのだけれど。
 彼がいうからには、誰かしら邪魔者がいるということなのだろう。
 誰がいようと、何の問題もないが。
 邪魔者は、排除するだけだから。
「それにしても、中々帰ってこないですね」
 腕を組みながら、彼がいった。
 いくらなんでも遅すぎると、私も思った。
 余計な所で油でも売っているのだろうか……
 扉の方を見たとき、何かが視界に映った。
「マスター、あの歯車はなんですか」
「歯車、ですか?」
 本を読み出した彼が顔を上げた。
 それは、扉付近に置かれた小さな棚に置かれていた。
 数個はある歯車は、私のものではない。
 となると、自動的に誰のものかはわかる。
 歯車を手に取り、転がしていた彼がいう。
「おや、付け忘れですかね」
「恐らくは、それ以外にないかと」
「キツイ事いいますね」
 苦笑している場合ではないような気がする。
 歯車が欠けているということは、何か支障があるはず。
 その割には、シアは普通に動いていたようだが。
「これは……脚のですかね。たぶん」
 大問題だった。一番支障があるといっても過言ではない。
「脚の、繋ぎの部分みたいです。動けますけど、途中で止まるでしょうね」
 しげしげと歯車を見ながら彼がいう。
 私は無言で扉へと歩き出した。
「迎えに行くのですか? 優しいですね」
「これ以上の遅れは、後の予定に影響がありますので」
「連れて行かなければいいだけなのでは?」
 そんなことを彼はいう。
 確かに、足手まといならば、置いていけばいいだけのこと。
 私は、今までもそうしてきた。
 何故、探しに行こうとしているのだろうか。
 最近は、よく分からないことばかりだ。
 でも――
「連れて行くといったのは、マスターです」
 私はそういうと、扉を開けて外に出た。
「これで、全部でしょうかね……?」
 背後から、そんな声が聞こえた。

 モノトーンの街には、いつも以上に大勢の人がいた。
 毎回思うのだが、人形売りはそんなにも魅力的なのだろうか。
 あの後、シアは路地裏で発見した。 
 無事といえば無事だったが、いた場所が謎だった。
 ゴミ箱とゴミ箱の間に、挟まれるようにして倒れていた。
 手には、買い物袋と、どこかに落ちていそうなゴミ。
 なんでも、ゴミを捨てようとしたら、脚が動かなくなったらしい。
 彼女に歯車をつけてから、歩いて、やっとモノトーンについた。
 この時点で、すでに時刻は昼だった。
「けっこう人がいるんですね〜」
 物珍しそうにシアが辺りを見ている。
 彼は何をしているのだろうか……と姿を探したのだが。
 先ほどまで、シアの隣にいたはずなのだが、見つからなかった。
 どうやら、売りの方へいって、物色しているようだ。
 何度かマスターが人形を買い、持ち帰っているのは見たことがある。
 しかし、部屋に運ばれた後は、一度も見たことがない。
 まさか、彼の部屋にびっしりと飾られているわけでもあるまい。
 いったい何処にいっているのか、つくづく不思議に思う。
 私が人ごみの中でマスターを探していると、隣にシアがいた。
 どうやら、ついてきていたようだ。
「何でこんなに人が多いんですかねえ」
「売りをしていますからね。それなりに集まるのでしょう」
「でも、機械人形を嫌う人は、多いですよね?」
「それでも、好む人がいるということだと思います」
「自分たちを脅かした物を買うなんて、物好きなんですね」
 感心したように、人形を見ながらシアがいった。
「ここって、戦争があったんですよね?」
「歯車戦争ですね。実際の場所は、ここではありませんが」

 昔、モノトーンの機械人形達が、他の街に戦争を仕掛けた。
 人間を排除して、機械人形だけの国を作ろうとした。
 愚かなことだと私は思う。
 人間がいなければ、私達は存在すらできなかったというのに。
 対抗する街では、戦闘用の人形を作った。
 そして、ノエルの東南にある平野で戦争は行われた。
 人も混じっていたが、ほとんどは人形の兵隊だった。
 人形と人形の戦い。
 死という概念が、存在しない争いだった。
 人形が壊れたならば、部品を拾い集めてまた作られた。
 ルイは、この時に人形を製作していたのだろう。
 作られたものが壊れ、壊れたものからまた作られる。
 終らない連鎖のようにも思えた。
 しかし、数年が経過した頃、唐突に争いは終結を迎えた。
 恐らくは、部品が尽きてしまったのだろう。モノトーンが敗北した。
 生き残っていたモノトーンの人形は、すべて破壊された。
 今では、他の街で受け入れられなかった人形達が、地下に住む。
 そして地上では、機械人形が売り捌かれている。
 戦争が終った後、平野には無数の歯車が転がっていたという。

「あたしは知らないですけど、ひどかったらしいですね」
 隣でシアが呟いた。
「酷いというか、無駄な行為でしたよ」
「馬鹿な事をする人間も、いるものなのですね」
 いきなりマスターが会話に割り込んできた。
 いつのまに近くにいたのだろうか。
「何か見つかりましたか? アル様」
「今回はいまいちですね。あまり生きが良くないです」
 何だか彼が、魚を選ぶときのような言い方をしている。
 機械人形に、生きなんてあるのだろうか。
 彼は、品定めをしているのか、じっと檻の中を見つめている。
 シアは、珍しそうに檻の中の同胞を見ていた。
 私は、なんとなく檻の中を見ていた。
 檻に囚われた、機械仕掛けの人形達。
 自我があるものもいるだろうが、何を考えるのだろうか。
 買われて、利用されて、壊れたら、捨てられて。
 ただ、それだけの存在。そのためだけに作り出されて。
 それが、人形の存在意義かもしれない。
 そして、それはこの私も同じこと。
「ルナさん、どうです、懐かしいでしょう」
「は?」
 まったく別のことを考えていたので、変な声が出てしまった。
 その隙に、シアが会話に加わった。
「懐かしいって、なんでですか?」
 茶色の瞳が、彼を真っ直ぐ見ている。興味津々のようだ。
「ここで、ルナさんを見つけたんですよ」
「そうなんですか?」
 くるりと、今度は私の方を向いた。
 見つけたといわれて、どこか安心感を覚えている私がいた。
 てっきり、拾ったといわれるかと思っていた。
「はい。ここで、マスターに会いました」

 あれは、戦争が終った頃だと記憶している。
 私を作ってくれた主は、戦争が始まると何処かへ行ってしまった。
 今でも、生きているのか死んでいるのかも、わからない。
 私は、アトリエにずっといた。
 モノトーンの地下にあった主のアトリエ。 
 誰が来るわけでもないのに、何故かそこに居続けた。
 地上では戦争があったから、危ないというのもあったかもしれない。
 戦争が終っても、そこにいたのだけれど。
 何も考えない、意味のない日々。
 たまに思い出すのは、主のことばかりだった。
 白い指先で、髪をすいてくれた感触。
 冬の湖のように、穏やかな蒼い瞳。
 アトリエは薄暗く、外に出ると瓦礫が散乱していた。
 砕けた建物の残骸や、壊れた人形の部品。
 所々開いた天井の穴は、人間が人形を捨てるためのものだろう。
 壊れて、ひび割れた硝子球。転がる、色のついた歯車。
 それは、戦争に自らの意思で参戦した人形がいたということ。
 自ら壊されるなんて、よくわからなかった。
 地下には時折、人形を捕まえようとする人が来ていた。
 彼らは自我のない人形を連れ去って行った。
 存在する理由などなく、主の記憶さえ忘れてしまいそうだった。
 そんな時だった。マスターに出会ったのは。
 普段、歯車が軋む音しか聞こえない地下に、別の音が響いた。
 硬質な、誰かが歩いてくる音。不規則な靴音は人形のものではない。
 つまり……人間ということ。
 捕獲に来たのなら、隠れていればいいと思っていた。
 見つかったなら、追い返せばいいだけのこと。
 幸い、アトリエにはいくつか武器があったから。
 足音が次第に近づいてきて、アトリエの中に入ってきた。
 私がいるのとは、別の部屋に。
 薄暗い中覗き見ると、何か部品を物色しているようだった。
 私の部屋から漏れる微かな明かりでは、それしか分からなかった。
 あの部屋は、主に人形の部品が置いてある部屋。
 いくつか、開かない棚などもあった気がする。
 いくら人形といえども、明かりのない暗闇を見るのは難しい。
 部屋をしばらく侵入者は見ていた。
 次に何かきりきりと音がした後、いきなり部屋が明るくなった。
 小型のライトなどではな明るさは、照明のものだろうか。
 壊れていたはずだから、修理していたことになる。
 そこで、初めて侵入者の姿が見えた。
 私は一瞬、主が帰ってきたのかと思ってしまった。
 男の髪は、明かりに照らされて、銀に煌いていた。
 冬の空のように冷たい瞳は、深い蒼だった。
 真剣な視線で、部品を見つめていた。
 あまりにも、主と似ていた。でも、何かが違った。
 身に纏う雰囲気が違うのだ。
 主は、穏やかで、優しい感じの人だった。
 あの男は、冷たくて、軽薄そうで、違いすぎる。
 自分以外のすべてを、拒絶するかのような。
 主に、兄弟などはいなかったはずだ。
 ぼうっと考えていたら、声が聞こえた。
「……誰か、そこにいるのですか?」
 その声で、思考が正常に戻った。
 まずい、見つかってしまったのかもしれない。
 明かりの中では、私の姿は目立ちすぎる。
 追い返すほど、問題のある人ではなさそうだが……
 どうやら、私が退くべきのようだ。
 アトリエには、また後で戻ってくればいい。
 そう考え、部屋の窓から外へ出ようとしたときだった。
「――ルナ?」
 中途半端な体制のまま、私は止まった。
 なぜ私の名前を知っている? あの男は、誰だ?
 私が戸惑っていると、部屋の扉を開いて男が現れた。
 そして、男が言葉を発した。
「貴女は、何をしようとしているのですか……?」
 男は驚いたように私を見ている。
 とりあえず、逃げるわけにもいかないので返答をした。
「お邪魔かと思いまして。あなたも、人形を集めに来たのでしょう」
「私は別に、泥棒をしに来たわけではありませんよ?」
 そういって、少し首を傾げた。……肌の色が白い。
「貴女が、ルナ=クローディアさんですか?」
「それがどうしましたか? それ以前に、何故私の名前を?」
「ああ。あちらの部屋の棚に設計図が。名前が書いてありましたよ」
 ……棚? あそこは確か、鍵が掛かっていたはずだが。
「鍵が掛かっていたので、開けさせてもらいました」
 開けたという事は、こじ開けたのだろうか。
 あの鍵は、特殊な仕組みになっていたはずなのだが。
「それで、貴女は何故ここにいるのですか?」
「特に理由などありません。行き場もないですし」
「貴女を作った人は?」
「さあ。私は知りません。いなくなってしまいましたから」
 そうですか、と男は背を向けて考え始めた。
「その人の名前は?」
 主の、名前?
 私は、主の名前は知らない。いいや、主のことは何一つ。
 知らなくていいのだと思っていた。だって、私は機械人形。
「では、こうしましょうか」
 いきなり男が私の方へと向き直った。
「貴女、私の所へ来ませんか?」
「……はい?」
「理由が必要なのでしょう? では作ればいいだけのこと。
 私の所へ来て、仕事を手伝ってください。見た所、戦闘用のようですし」
 このとき、強引の意味を私は知った気がする。
「どうしました? まだ他に理由が必要ですか?」
 機械人形には、理由があれば、それだけでいい。
 他には、何もいらない。
「わかりました。私は貴方に仕えましょう」
 私は男の前で、恭しく一礼をした。
「マスター、お望みのままに」
 何をいわれるのかと待っていると、いきなり笑い声が聞こえた。
「……笑うようなことをいったでしょうか」
「本当に貴女は堅苦しいですね。変わっていなさそうです」
 変わるというのは、作られてからの性格だろうか。
 くすくすと笑いながら、新しいマスターがいった。
「仕えるのですから、当然のはずですが」
「仕えると、奴隷は違うものですよ」
 どちらも、同じように私には聞こえるのだが。
「まぁ、とりあえず、帰りましょうか?」
「何処へ?」
「私の家といいますか、事務所です」
 先ほどいっていた、仕事をする場所なのだろうか。
 ぼけっと突っ立っている私を、マスターが引きずっていく。
 ずいぶんと力があるようだ。機械人形は重いものなのに。
「マスター、一つ聞いてもいいですか?」
「一つと言わず、いくつでもどうぞ」
「名前を教えてくださらないかと……」
 マスターが、きょとんとした顔で私を見た。
 ――また私は何か変なことをいってしまったのだろうか。
「これはすいません。名乗るのを忘れていました。私の名前は――」

「あの〜大丈夫ですかぁ、ルナちゃん?」
 間延びしたシアの声で我に返った。
 色々と、昔のことを思い出してしまった。
 あそこで、マスターに出会わなかったらどうなっていたのだろう。
 今も、アトリエにずっといたのだろうか。
「マスター、寄り道をしてもいいですか?」
「はい? どうぞ。私はここにいますから」
「ありがとうございます」
「どこいくんですかールナちゃん」
 ついてきそうなシアを、彼が足止めする。
「寄り道くらい、一人で行かせてあげてくださいよ」
「それじゃあ、あたしが暇なんですよ」
「人形でも見ていてください」
 言い放つと、彼はまた目の前の檻に集中したようだ。
 私はそれを見てから、地下へと向かった。
 他意はないけれど、アトリエに見ようと思ったのだ。
 何故なのかは、わからない。
 だが、少なくとも、あのときの私と今の私は違うはずだ。
 わからないことは、昔よりも増えたけれど。
 存在理由、存在意義があるかどうかではなくて。
 それがわかったとき、何かが終る気がした。
 ……夜までに帰れるのだろうか。
 地下に降りる前に空を見上げたら、太陽が沈みかけていた。
 夕焼けの空には、いくつかの星が瞬いていた。
 もうじき、月がでるだろう。
 さあ、早く用事を済ませてしまおう。
 そして、マスターのところに帰らなければ。
 今の私の居場所は、このアトリエではない。
 あの事務所なのだから。
 

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