三夜




 晴れが多いフェルシオンの街では珍しく、
 どんよりとした曇り空だった。
 事務所の中で、私はマスターにメンテナンスを受けていた。
 シアはどうやら調理場で洗い物をしているようだ。
 ……何故洗い物なのだろうか。
「マスター、彼女は水に触れても平気なのですか?」
 私の回路を交換している彼に尋ねてみた。
「ああ、防水性の手袋を着用していますから」
 調理場からは、微妙な音程の鼻歌らしきものが聞こえてくる。
 耳に心地よいというか、耳障りというか……
 それにしても、洗い物など、そんなに行いたい事なのだろうか。
 食器といえど、彼が使用した一人分しかないというのに。
「ルナさん、ちょっと手を動かしてみてください」
「はい」
 腕を曲げたり、伸ばしてみたりする。
 昨晩は酷い目にあった。
 これなら、仕事に支障もないだろう。
「腕、良好です」
 わかりました、と呟き彼は足へと取り掛かる。
 大小様々の歯車、回路を素早く交換していく。
 なかには、随分錆付いているものもあった。
 どうりでギシギシいっていたわけだ。
 ふと、軽快に作業していた彼の手が止まった。
「貴女の歯車は綺麗ですね」
「私の歯車、ですか?」
「ええ。とても綺麗な色をしていますよ」
 私の心臓ともいえる歯車。
 それは左胸の辺りに埋め込まれている。
 この歯車から連鎖して、すべての歯車が動く仕組みだ。
 だから、機械人形にとっての心臓なのだ。
 この歯車によって、自我の有無が決まるらしい。
 大抵の歯車は珍しい色をしていて、貴重だ。
 銀が銅色などが一般的だが、紅や、青いものまで。
 噂では、黒い歯車もあるらしい。どんな自我が宿るのだろうか。
 その歯車は主にスラム等の裏で取引されている。
 彼は、別ルートで手に入れたようだが。
 私の紅は、好戦的な自我が宿りやすいという。
「そんなに珍しくはないです、紅など」
「血の色みたいで、綺麗だとは思いませんか?」
「血液とは、また違う赤です」
 つれないですねぇ、と彼は苦笑した。
 血液の赤は、紅とは似て非なるもの。
 酸化すれば、赤はやがて黒に近づいていく。
 私の紅は、変わらない。何が起ころうとも。
 私が消えても、色褪せることなく輝き続ける。
 たとえ、私以外の人形に使われたとしても。
 つらつらと考えていると、いつの間にかシアが傍にいた。
 そういえば、妙な鼻歌も聞こえなくなっていた。
「アル様って、器用なんですね。お料理もお掃除もできるなんて。
ルナちゃんが着ている服も、アル様が作ったんでしょう?」
 そうだったのか、まさか彼の手作りだったとは……ん?
「シア、今の……ちゃんというのは」
「そうです、私は器用ですよ。凄いでしょう、褒め称えなさい」
 会話に割り込まれてしまいました。
 というか彼の王様的発言の方が気になります。
 シアが小首を傾げながら彼に尋ねた。
「そういえば、聞きたいことあったんですけど、いいですか?」
 彼は私の歯車を動かしながら答えた。
「あの〜アル様って、男ですよね?」
 何かが引きちぎれる様な音が聞こえて、私は驚いた。
 今の妙な音はなんなのだろうか。
 そして何故私の視界が暗闇なのだろうか。
 部屋の中には、痛いほどの静寂が広がっていた。
「マスター、何かしましたか?」
 尋ねては見たものの、目の前に彼がいるのか分からない。
 さらに、返事がないので余計に状況が把握できない。
 動けないままじっとしていると、低い声が聞こえた。
「……はい? もう一度お願いします」
「えっと……アル様って男ですよね?」
「何を言い出すんですか、貴女」
 低すぎる彼の声がすこし恐ろしい気がする。
 シアも、変な質問をしたものだ。
「どうしてそう思うんですか?」
「え、いや、アル様は髪も長くて綺麗ですし……」
「綺麗ねえ、褒めているのですか?」
「もっ、もちろん褒めてますよぉ」
 慌てたようなシアの声が聞こえた。
 彼の髪は確かに長いが、一つに結わいている。
 性別は間違えようがないはずなのだが。
「貴女は綺麗であれば、誰でも女性と思うのですか?」
「う……」
 低く、ドスの聞いた声音はまだ続いている。
「男は、綺麗と言われても喜びませんよ」
 マスター、そんなに女性と間違われることが嫌なのでしょうか。
 諭すように彼の声は続く。
「いいですか、シアさん。私は見ての通り男です。
 いくら髪が長くても、色白でも女顔でもです。
 分かりましたか?」
「はい……すいませんでした」
 しょんぼりとした感じのシアの声が聞こえた。
 それと同時に、私の視界が復活した。
 うなだれたシアと、険しい目つきのマスター。
「すいませんでした、ルナさん。
 シアさんがあまりにも変な事を言うので、手が滑りました。
 歯車が落ちて、回路が少し切れてしまいました」
 私の方を見て、何事もなかったかのように、そう告げた。
 そのまま、工具箱を整理している。
 そうか、視界を司る部分が切れてしまったのか。
 ――もしかして、聞いていたのを知らないのだろうか。
 私はしばし悩んだ。教えるべきが、そのままにしておくべきか。
 マスター、と私が声を掛けると彼は振り向いた。
「髪を短くされてはいかがですか?」
 彼の顔が、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「……考えておきましょう」
 むすっとした感じで一言言うと、彼は二階へ行ってしまった。
 その様子を眺めていたシアが呟いた。
「アル様……気にしていたんですね」
「何度か、間違えられたこともあるのです」
 それに、と私は続けた。
「マスターは、潔癖症なんです」
 私の横でシアが驚いたような顔をしている。
 彼は、潔癖症。
 この事務所にお手伝いさんがいない理由でもある。
 他人などは嫌です、といって、機械人形しかいない。
 私の前にも何体かいたようだが、今は私一人だ。
 もはや、潔癖症なのか人間嫌いなのかわからない。
 私は思わず呟いてしまう。
「何というか……」
「女の人みたいですねえ、アル様って」
 二階から、派手な物音が聞こえた。

 その日の依頼人は、日が沈む頃にやってきた。
 控えめにノックされた扉を開けると、小柄な男が立っていた。
 皺のよったスーツに、くたびれたシャツ。
 三十代後半にも見える顔には、岩の様な疲労が張り付いていた。
 男が身じろぎすると、微かに金属音がした。
「いらっしゃいませ。依頼人の方ですか? どうぞ」
 私は所在なさそうに立っている男をソファへ案内する。
 マスターの口元には、淡い微笑が浮かんでいる。
「本日はどのようなご依頼ですか?」
 きょろきょろと事務所内を見ていた男は、彼の方を向いた。
 懐から写真を一枚取り出すと、彼の方へ差し出した。
 不精ひげを生やした、いかつい顔の男が写っていた。
 私は、写真の男に見覚えがあった。どこかで見たような……
「……この男を殺してもらいたいのです」
「ふむ、これはここのスラムにいる男ですね。
 殺すのは本人のみですか? 
 それとも、組織ごと滅ぼすのをお望みですか?」
 ちらと写真を見た後に、彼がそう尋ねた。
 俯いていた顔を上げて、男ははっきりといった。
 本人だけ、と。
「何故殺害を依頼されるのですか? 
 よろしければお聞かせ下さい」
 彼は真っ直ぐに蒼い瞳で男を見つめた。
「妻と娘を殺されたのです」
 そう言った男の声は、今までとは違い鋭かった。
 疲れていた顔には獰猛さが宿り、黒い瞳には殺意が。
「私はある組織の下っ端として、働いていたのです。
 だが、ある日上司のミスが私に回ってきて…… 
 殺さなくてもいい人を殺してしまったのです」
 そういうと、男は再び俯いてしまった。
「ようやく家に帰ったときには、死体が転がっていました」
「どのようなものでした?」
「妻は……自室で体中を切り裂かれて死んでいました。
 瞳には、ナイフが突き立てられていました。
 娘は……あの子はまだ五歳なのにっ!
 ら、乱暴された跡がありました」
 虚ろな男は、吠えるように言葉を吐き出した。
 彼が一瞬顔をしかめて、下衆な、と呟いた。
 今回の目標は、どうやらマスターの機嫌を損ねたようだ。
 不幸な男は視線を彷徨わせていたが、彼の方を見た。
「それで……代価はどうすれば?」
「ああ、そうでしたね」
「多少ならば持ってきましたが……」
 男は再び懐から、分厚い封筒を取り出した。
 だが、彼は即座に断った。
 やんわりと差し出された封筒を押し戻し、言った。
「こちらから指定してもよろしいでしょうか?」
 戸惑いながらも男は頷いた。
 男の了解を得ると、彼はにっこりと微笑んだ。
「では、貴方が身に着けているそのペンダントを下さい」
ペンダント、と聞いた瞬間、男の方肩がびくりと跳ねた。
「こっ、これは……妻の形見でして」
 男が胸元を握り締めると、鎖が外れたかペンダントが落ちた。
 私はそれを拾い上げてテーブルの上に置いた。
 透き通るようなエメラルドグリーン。
 金属部分には、薔薇の装飾が施されている。
 そっとペンダントを手に取り、彼は眺めている。
「そのペンダントは大したものではありません。
 それよりはこちらの方が――」
「金銭の問題ではないのですよ」
 封筒をなおも差し出す男に彼は言う。
「殺しに値する代価を。それは金銭だけではありません」
「し……しかしっ」
 いいですか、と彼は冷たく言葉を紡ぐ。
「貴方が殺したいと願う相手を、大切に思うものもまた、
 いるかもしれないのですよ」
「あの男をそんな風に思う奴などいません」
「貴方は男の全てを知っている訳ではないでしょう?
 私達は貴方の願いを受けて人を殺します。
 ならば、貴方の想いが込められた物を」
 弄んでいたペンダントをテーブルの上に彼は置いた。
「それとも、貴方は価値のない物を持ち歩いているのですか?
 所有者亡き後も、肌身離さずに」
「それが、あなたのルールだというのですか?」
「ええ。破られることのない、約束事ですよ」
 微かに震えながらの男の問いに、彼は微笑んだまま答えた。
 彼が営む殺し屋のルール。
 相手に身分に関係なく、依頼を引き受ける代わりに。
 殺しに値する、かけがえのない何かを求める。
 それは時として、金銭だけに留まらない。
 世間的に価値がないものでも、依頼人にとっての大切な物であれば、依頼は成立する。
 あるものは富や財産を。あるものは家族や友人を。
 代価とされた人には、新しい場所を用意する。
 約束事はただ一つだけ。
 依頼人との接触は決して許されない。
 破ったものには、死を。
 それが、今までも、これからも変わらぬルール。
「……わかりました。それをお渡しします」
 ええ、と彼は頷いた。
「確かに貴方の代価、受け取りました」
 お願いしますと頭を下げて男は、とぼとぼと事務所を出て行った。  
 その姿は、ここに来たときよりも元気がない。
「さて、ではルナさん、仕事に行ってきて下さい」
「はい、マスター」
 今夜も、仕事が始まる。

 身支度を整えてから、私はスラムへと歩き出した。
 目標がいるのは、スラムのかなり奥深く。
 廃墟や、古い家などが立ち並んでいる。
 腹黒者ほど、薄暗い場所を好むようだ。
 今回は珍しくマスターから指示があった。
『時間を掛けて殺してくださいね?』
 つまりは、痛めつけて苦しませろということ。
 このような指示を彼が出すのは極まれだ。
 よほど目標が気に入らなかったようだ。
 私も子供で遊ぶような輩は、好まないけれど。
 距離はいつもと同じはずなのに、いつのまにか着いていた。
 無意識の内に、早足になっていたのだろうか。
 腰のベルトから短剣を取り出し、気配を探る。
 辺りには、ごみが散らばっているだけで、人影はない。
 瞬間、カサリとごみの影から音が聞こえた。
 私はほとんど反射的に短剣を投げつけた。
 甲高い鳴き声と共に転がってきたのは、野良猫だった。
「間違えてしまいましたね……」
 うっかり環形のない動物を殺してしまった。
 頭部がぱっくりと割れて、熟れた無花果のようになっている。
 うっすらと血の香りが漂っていそうだ。
 どうしようかと迷っていると、突然背後から声が聞こえた。
「そんなところで、なにしているんだい?」
 振り返ると、目標がいた。血の香りに誘われたのだろうか。
 男は猫の死骸を見た後、私の方に向き直った。
「おや、猫を殺しちゃったのかい? いけない子だねえ」
 私の見て、女だと判断したようだ。
 妙な口調が気味が悪い。
「次に転がるのはあなたですよ?」
 すぐさま私は斬りかかる。首を真っ直ぐに狙って。
 首に触れる直前、切っ先はずれた。
 彼の指示を思い出したのだ。
 男はひらりと避けると、にたにたと不気味に笑う。
「物騒だね。お仕置きが必要かな〜?」
 男が取り出した何かを、私は足で蹴り飛ばす。
 どうやら、先端が尖った杖のようだ。
 アイスピックのように、先は鋭い。
「ん? 何だ。アンタ機械人形か。これじゃ遊べないな」
 男はまたも懐から杖を取り出すが、両手でくるくると回し始めた。  
遊べない対象であることで、やる気が削がれたようだ。
 動きが鈍くなった男に近づき、素早く捕らえる。
 手足を拘束しながら、短剣を構える。
 捕まっても男は、まだへらへらしていた。
「何を考えているのやら」
 私が短剣を振りかぶり、突き刺そうとした時。
「ストップです、ルナさん」
 この場にいないはずのマスターの声が聞こえた。
 振り返ると、一つの影があった。
 黒いロングコートを身にまとい、手には黒革の手袋。
 握られた手には、拳銃が一つ。
 雲の切れ間から降り注ぐ月明かりを反射して、煌く銀髪。
 闇に浮き上がった姿は、とても美しかった。
「マスター……どうしたのですか?」
 思わず尋ねてしまった。こんなことは、初めてだからだ。
 彼が弱い訳ではないのだが、汚れ仕事を嫌うから。
「どうもこうもありませんよ。まったく、変な話を聞いた
 せいで、気分が優れないのです」
「落ち着かない、というわけですか」
 ええ、と薄く冷笑する彼。
「私の手で殺さないと、眠る事すらできそうもないです」
 そういうと彼は、私が捕らえていた男に眼を向けた。
 射抜くような、鋭い蒼の視線を受けて、男が身じろぐ。
「しっかり抑えていてくださいね? ルナさん。
 後、そのナイフを貸して下さい」
 私は彼に短剣の片方を差し出す。
「な、なんだよオマエは……」
「下衆は喋らなくて結構」
 吐き捨てると、男の肩に短剣を勢いよく突き立てた。
 ひええ、という情けない悲鳴と共に、男が暴れだす。
 しっかりと押さえつけるも、なおも動き続ける。
「暴れたら刺せないじゃないですか……」
「おとなしくさせますか?」
「いえ、これで十分です」
 彼は持っていた銃で男の手足を打ち抜いた。
 サイレンサーでも付いているのか、微かな音しかしなかった。
 男は声もなく急に大人しくなる。まだ死んでいないはずだが。
「うえっ、助けてくれよう。何でもするからさあ」
 蒼い瞳が細められる。謡うような声で彼は話しかける。
「きっと娘さんや奥さんも、そうやって命乞いをしたんですね」
「ああ? な、何いってるのかわからねえよ」
「ほぉ。記憶する価値もない事ですか」
 弱る男に近づき、彼は肉を裂く。
 白い指先を赤い血が伝わるのは、魅惑的だ。
 まるで、美しい死神のようだと思った。
 少しずつ、肉を裂き、骨を砕き。男に恐怖を与える。
 銀髪に赤い飛沫がかかり、染めていく。
 男は体を時折痙攣させるだけで、声はない。
「あっけないですね。まだ死んではいないでしょう」
 そういって腹部に深めに短剣を抉るように刺す。
 男からしばらくぶりの呻き声が上がった。
「もう抑えていなくていいですよ。どうせ逃げられません」
 私は男から離れて、彼の横に立つ。
 男を切り刻む彼はとても嬉しそうに微笑んでいて。
 顔は微笑んでいても、瞳は冷たく凍ったまま。
 凄絶な笑顔。瞳に浮かぶのは、一欠片の狂気。
「さぁ……まだまだこれからです」
 ひっと、男が息を呑む気配がした。
 先ほどまで邪な感情に支配されていた瞳に浮かぶのは。
 畏怖と、虚ろ。
 私は、そんな彼に魅せられたまま。
 銃口を男に真っ直ぐに向け、彼は言い放った。
「貴方は、私がじっくりと痛ぶってから、殺してさしあげます」
 闇だけが蠢いているスラムの中、男の絶叫が響き渡った……


 
back  next